映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の黒沢年雄が、東宝の専属を切られて東映で脇役を演じたこと、テレビシリーズ『ザ・ハングマン』で活躍したことついて語った言葉をお届けする。
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一九七〇年代に入ると東宝は映画の業績が低迷、専属スターたちは契約を打ち切られ、フリーの道を歩むことになる。黒沢年雄もその一人で、その後は東映の『仁義なき戦い 頂上作戦』『新網走番外地 吹雪の大脱走』などで脇役を演じている。
「つらかったですね。東宝映画の社長だった藤本真澄さんに呼ばれたの。『専属契約をなくすから、お前はどういう世界に行こうと、どういうふうに演じようと、お前の思い通りに生きていけ』って。その時に呼ばれたのは、三船敏郎さん、加山雄三さんとかのメインどころで、他は藤本さんでない人に呼ばれていました。そのメインの一人だったことは嬉しかったです。
でも、そこから低迷するわけです。あの頃は、もう食えなくて、食えなくて──。それで出たのが『仁義なき戦い』や『網走番外地』。今になっていろんな人から評価されたり『観てました』と言われるんですが、それが悔しくてね。
出たくないもん、『仁義なき戦い』のちょい役なんて。だから、『観てました』と言われると違和感がある。その前の『白昼の襲撃』とかを観てほしいんだよ。でも、それは観ていない。だから、あの頃の話をされるのは嫌なんだよね」
一九八〇年に始まるテレビシリーズ『ザ・ハングマン』(ABC)で黒沢は悪党を闇に始末する「ハングマン」のメンバーの一員を演じ、その後の『ザ・ハングマンII』ではリーダー格のポジションになっている。