日本シリーズでソフトバンクの強さと巨人の弱さをまざまざと見せつけられ、さらにはその巨人に独走を許したセ・リーグの5球団はどれだけ弱いのか、と絶望しているセ・リーグ球団のファンたちは、シーズン終了とともに「どうしたらセパの実力差を埋められるのか」と侃々諤々の論争を戦わせている。『週刊ポスト』(12月14日発売号)では、“強いパ・リーグ”の往年の名選手たちが、もしセ・リーグでプレーしていたなら、もっと多く名球会入りしていたのではないかという仮説を、データと専門家、当人たちの証言で検証している。
セパの差はどこから生まれたのか。パ・リーグはDH制を採用しているため、ピッチャーは投球に専念し、打線は切れ目のない攻撃型になるから、駆け引きよりも力と力の勝負になりやすいことは間違いない。また、現在はパ・リーグのほうが全体的に球場が広いから、バッターはフルスイングが必要になるし、ピッチャーは力で抑えることもできる。12球団のホームのうち、狭いほうのベスト3はDeNAの横浜スタジアム、ヤクルトの神宮球場、そして巨人の東京ドームと、すべてセ・リーグである。
俊足強肩の先頭打者としてヤクルトの黄金期を支えた飯田哲也氏は、「パ高セ低」の背景について、業師らしい分析をする。
「私はセパの球場の広さはあまり関係ないと思っていますが、DH制は大いに関係ありますね。今回の日本シリーズにしても、巨人が全試合DH制というソフトバンクの提案を受け入れてしまったことは大きかった。セ・リーグの野球をしなければ勝ち目はありません。DH制があるほうが、バッターはもちろんピッチャーも選手生命が長くなると思います。生涯記録を残しやすいのはパ・リーグかもしれません。
それから忘れてはいけないのは、パ・リーグのほうが育成にじっくり時間をかけていること。セ・リーグは慢性的な先発投手不足にあり、ドラフトでも即戦力の大学生や社会人を求めるのに対し、パ・リーグは2~3年後を見据えて素質のある若手を指名する。その蓄積の差が今のレベル差につながっていると感じます」
パ・リーグがDH制を採用したのは1975年。球場が広くなったのはもっと最近のことだ。では、それ以前の名選手たちにとって、セパの違いとは何だったのか。「野球は巨人」という時代にパ・リーグの阪急に20年間在籍し(のちに阪神2年、近鉄1年)、通算350勝という、あの金田正一氏の400勝に次ぐ歴代2位の記録を持つ米田哲也氏が、往年の“パ・リーグ魂”を語る。