日本の皇室の血統・世襲の問題をどう考えるか。江戸時代後期に起きた「尊号一件(そんごういっけん)」という事件を例に、いまも眞子内親王の結婚報道をめぐって起きている心情論と法律論の対立について、評論家の呉智英氏が論じる。
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秋篠宮家眞子内親王の婚約・結婚関連の報道がマスコミをにぎわしている。マスコミがあれこれ詮索することになるのは、血統・世襲による天皇制の本質的問題が根底にあるからだ。血統によらない帝政であれば、同じ事態が起きてもこれほどの騒ぎにはならない。
というと、血統によらない帝政なんてあるのかという声も聞こえてきそうだが、世界史の授業で暗記させられたローマの五賢帝のうちには傍系の人もいるし、全く血縁のないトラヤヌス帝もいる。これは先月刊行の本村凌二『独裁の世界史』でも論じられている。
皇帝と天皇は別ものと思う人もいるかもしれないが、「大日本帝国」は「皇国」である。英語ではどちらもEmperorだ。
皇室に親しみを持つ国民がふえていると言われながら、天皇制そのものについては知られていないことは多い。女系・女帝など「お世継ぎ」問題は関心を持つ人も出てきたが、これと関連する「尊号一件(尊号事件)」はほとんど知られていない。これは江戸後期に勤皇運動とからんで問題となり、明治になってからも跡を引いた。
かく言う私も二十数年前、吉村昭『彦九郎山河』を読むまで知らなかった。日本史の教科書だけでなく受験参考書の井上光貞『日本史』にも一行も触れられていない。
さすがに平凡社の『日本史大事典』には出ている。
「江戸時代後期、光格天皇がその父である閑院宮典仁親王に太上天皇(譲位した後の天皇)の尊号を贈ろうとして、幕府に拒否された事件」
光格天皇は第百十九代天皇である。しかし、その先帝第百十八代天皇、後桃園天皇は光格天皇の父ではない。祖父でも伯父でもない。後桃園天皇から四世代(皇位では五代)溯った東山天皇から分かれた閑院宮直仁親王の孫に当たるのが光格天皇である。
現在、皇位継承者がいなくなる事態を避けるため「宮家復活」を検討する声があるのも、こうした先例があるからだ。