2020年の緊急事態宣言下では、社会の機能を維持するために働く医療従事者、介護士、スーパーの店員、ごみ収集作業員などのエッセンシャルワーカーへ感謝をしようという機運が高まった。ところが、首都圏に二度目の緊急事態宣言が発令されたいま、あのとき、感謝の言動は表向きに過ぎなかったのではないかと、苦い記憶が呼び覚まされている人たちがいる。ライターの森鷹久氏が、物流を支え続けたトラック運転手が持つ仕事への誇りと世間への複雑な思いを聞いた。
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「コロナ一色」に塗り替えられてしまった2020年。本来なら今頃、熱狂のうちに幕を閉じた東京五輪の余韻に浸りつつ、新たな年への意気込みを誓っていたのかも知れないが、年が変わったことも忘れさせるほど「コロナ」は収まるどころか更なる猛威を振るっている。あらゆる場所でコロナ禍の「国民」を見続け、対峙してきたという九州在住の運転手・富田悟さん(仮名・60代)が、2020年を振り返りつつ「最悪のスタート」を切った2021年の展望について語った。
「また大都市に『緊急事態宣言』が出れば、私はまたバイ菌扱いでしょうね。去年の3月以降もそうでした」
富田さんは北部九州の某市に、妻と娘二人と暮らす長距離ドライバー。20年ほど前に、当時勤めていた運送会社を退職し、個人事業主として独立。一台1500万円以上はするという20トントラックを購入すると、主に生鮮品を九州から関西、関東へと一人で運び続けた。年収はコンスタントに1000万円超、取引先からの信頼も得て仕事に困ることはない、まさに順風満帆のドライバー生活。そんな富田さんが初めてぶつかったという「壁」、それが「コロナ」だった。
「人の往来が無くなろうと、物流だけは止まらんし止められん。止めたら人が死にますから。だから仕事が無くなるとは予想もせんでした。ところが、昨年の3月から5月かけて物流が止まりかけた。動くことが『悪』とされたんです。まさか、と思いました」
富田さんとて、コロナを不安に感じなかったわけではない。毎日のように、首都圏や関西でコロナ感染者が確認されたという報道を見ていれば、そこへ行くのは誰だって怖い。若いとは言えない年齢に加えて持病もあり、感染してしまえば命にも関わる。長距離ドライバーという過酷な仕事を続ける夫を見かねた妻からは、もうそろそろ仕事をやめるべきではないかとも言われた。それでも、仕事は完全にはゼロにならなかったし、辞めるつもりもなかった。