認知症の母(85才)を支える立場の女性セブンのN記者(56才)が、介護の日々を綴る。変わりゆく母の記憶から感じたものとは──。
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何かとガミガミうるさい娘の私より、母は孫のSによく若い頃の話をする。結婚前の恋愛の事細かなエピソードはほぼSを通じて知ったくらいだ。そして認知症が進んでくると、誰も知らないもう1つの人生を語り出したのだ。
妄想か、現実か? 幼稚園でピアノを弾く母
母の実家はテーラー(注文紳士服仕立て業)だった。きょうだいの中で手先の器用だった母は祖父に見込まれ、高校卒業と同時に家業を手伝っていた。結婚後も家に小さな仕事場を設え、私が物心ついたときにはいつも服を縫っていた。
時々洋服店のおじさんが上等な服地を持って来て「よろしくお願いします」と、母に頭を下げているのを見て、子供心に誇らしく思ったものだ。母が立派なテーラーだったことは疑いようもない。
ところが……「おばあちゃん、幼稚園の先生だったの? 知らなかったよ」と、学校帰りに母の用事を頼んだ娘のSが言ってきた。Sは保育士の勉強をしていて、教科書やピアノの楽譜を見ながら母と盛り上がったというのだ。
「ピアノが上手で採用されたって。3才児は自立心が出て来るとか、妙に詳しいことをいろいろ知ってたよ」
そんなはずはない。私の知る母の歴史に“幼稚園の先生”が入る隙間などない。ピアノは私が子供の頃に買ってもらったが、母が鍵盤に触れるのを見たことがない。音楽に相当な苦手意識があるのだろうと思っていたくらいだ。
保育士志望の孫に話を合わせたのか。はたまた密かに幼稚園の先生に憧れていて、妄想してしまったのだろうか。
それにしても娘は聞き上手で、いつも細かい話を認知症の母から聞き出してくる。結婚前、元彼のTくんにナンパされたとき、実はTくんの友達の方に興味があったとか、Tくんは年下で少し退屈だったとか。そんな話をする母の一面も娘を介して知ったのだ。
娘へのささやかな嫉妬も半分、“幼稚園の先生”問題の真偽を確かめたい気持ちでいっぱいになったが、2人で『おべんとう』を楽しく歌ったと聞いて、しばらくは黙っておくことにした。