新型コロナウイルスの感染拡大によって、生活様式が大きく変化し、これまではなかった不自由さを感じる機会が増えた。それでもコロナに押し潰されず、多くの人が前向きに生きていきたいと願っている。
『70歳のたしなみ』で後半生を黄金時代に変える心構えを説いた昭和女子大学理事長・総長の坂東眞理子さんと、『なんとめでたいご臨終』で最期まで朗らかに生きて旅立った人たちのエピソードを明かした在宅医療の第一人者・小笠原文雄さん。ベストセラー著者2人が、コロナ禍に考えておきたい生き方、死に方について語り合った。
死をめぐる2人の対話は、「よりよく生きること」の大切さにたどり着いた。予想もしなかったコロナで世の中が先行き不透明になり、不安や絶望が蔓延する中で迎えた新しい年を私たちはどう生きていけばいいのだろう。
坂東:仏教では人間の一生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の4つの段階に分けて考えますが、最近、私はその後に「心住期」があると思っているんです。肉体はなくなっても、残された人の心に住む期間のことですね。
私の母は16年前に亡くなりましたが、与謝野晶子の「金色のちひさき鳥の~」という短歌が好きだったことを、いまでも時々思い出します。私が覚えている限り、母は私の心に住んでいます。誰でも亡くなった後、その人がかかわった人の心の中に生きる「心住期」があるわけで、そのときによい残り方をしたいと望むよう心がけています。
小笠原:高齢のひとり暮らしのかたは歩けなくなったり、寝たきりになったときにこそ、ほぼ全員が「家にいたい」と気持ちが変わります。理由を聞くと、「あの人形は母と一緒に買ったものだ」「あの絵を見ると自分が若い頃に戻れる」などと言って、「ひとりで寝ていても思い出の中で暮らせる。こんな幸せなことはない」と付け加えます。
もっと驚くことに、認知症になって医師のことがわからないかたでも、「(施設に)行くのはイヤだ」と言い、仏壇の方を向いて亡くなる人が多い。
坂東:ほう、それはなぜですか。
小笠原:ぼくも不思議なんだけど、仏壇に亡くなった旦那さんとかご両親の遺影や位牌がありますよね。どうも「お父さん、お迎えに来てね」などと語りかけている。認知症になっても、本人の記憶に思い出が残っている。そんな思い出がある限り、ひとり暮らしでも幸せなのです。
いのち(壽命)とは不思議なもので、この世では限りある肉体のいのち(命)が仏のところへ帰るとも、永遠なる無量のいのち(壽)は、こころの中にも生きている。つまり、いのちには2つあって、それを理解すれば、こころ安心、暖かいんです。
坂東:そうなんですね。ただ私くらいの年齢だと、自分で生活できる限りはひとり暮らしをして、体が不自由になってトイレにも困るようになったら、子供の迷惑になるから施設に入ろうと思う人が多い。私もそのひとりです。