箱根駅伝を盛り上げた創価大学、そして全国大学ラグビー選手権で初優勝を果たした天理大学は「宗教団体」を母体とする。なぜ教団はスポーツ教育に力を入れるのか──。『永遠のPL学園』(小学館刊)の著者でノンフィクションライターの柳川悠二氏が裏側に迫った。(文中敬称略)
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信仰とスポーツ活動が密接に結びついた学校といえば、PL学園だろう。黄金期にあたる1980年代は全国に点在する教会のネットワークで有望中学生の情報を集め、大阪府の富田林でセレクションを実施。入学した選手の学費などは、教団の寄付を惜しみなく投じて賄なっていた。
「神に依る野球」「PLの野球は世界平和に通ず」という理念のもと、プレー中は、打席に入る際や守備に就く際に、ユニフォームの胸の辺りに隠れたアミュレットと呼ばれる御守りを握りしめ、祈りを捧げた。
PLは神道系の新宗教であるが、勝利を嘆願する神頼みではなく、「練習通りの力が出せますように」という願いを込めたルーティンのような所作であった。
あれほどの人気を集めたPLも、学園を運営する教団の信者数が激減し、あわせて学園の生徒数も大きく定員割れして硬式野球部に力を注げる状況ではなくなった。度重なる暴力事件などの不祥事もあり、野球部は2016年に事実上の廃部に。剣道部も全国随一の強豪校として名高かったが、かつての勢いはない。
しかしながら、100年を超える高校野球の歴史を、新宗教系の学校が彩ってきたのは確かだ。甲子園常連校では辯天宗を母体とする智弁学園(奈良)や智弁和歌山、そして天理や創価。また、激戦区の大阪で夏1回の出場経験がある金光大阪(金光教)や東京の佼成学園(立正佼成会)も強豪である。
現在も名門であり続ける新宗教系の学校は、PLとは違って宗教色が薄いのが特色だ。以前、智弁和歌山の前監督である高嶋仁氏に話を聞くと、自身も信者ではないと打ち明け、こう続けた。
「野球部だけやなく、ほとんどの生徒が信者ではありません。以前は、試合中に念珠をつけてプレーする選手もいましたが、高野連から危険だということで禁止になった」