「巨人は出戻りを許さない」という“掟”を覆して電撃的にコーチ就任した桑田真澄氏。菅野智之のメジャー挑戦が空振りに終わり、“菅野番”として呼び戻されたのではないかと噂された。事実、「桑田コーチ」が決まったのは、菅野のメジャー行きがいよいよ無理そうになってきた今年の年明けだったようだ。現役時代に桑田氏と親しかった巨人OBが証言する。
「桑田さんにとっても急な話だったみたいですよ。1月1日に原(辰徳)監督から電話をもらい、5日に会ったそうです。それで12日に発表ですからね。桑田さんも何が起きたのか正確にはわからないようですが、本心から喜んでいますね。もう巨人のユニフォームは着られないと思っていたようですから」
桑田氏は現役時代、メジャー挑戦のために自ら退団して球団と疎遠になったとされる。球界きっての理論派で、菅野が目指すメジャー事情にも詳しいことから、今シーズン終了後に再びメジャーを目指したい菅野の相談役というのは筋が通る見立てだ。
一方で、原監督による一本釣りで復帰したことで、補佐として支えることになる宮本和知・投手チーフコーチと衝突するのではないかとという心配もある。宮本氏は桑田氏より4歳年長だが、社会人を経て入団し、中継ぎから左のエースに這い上がった苦労人。甲子園のスーパースターだった桑田氏とはキャリアもキャラクターも違う。巨人の投手コーチとして現役時代の桑田氏を指導したこともある中村稔氏も、そこを心配している。
「桑田は頑固なところがある。人間の勉強もしないと、宮本と衝突するんじゃないかな。現役時代の桑田は、球団の禁煙問題でも自分を意見を押し通したからね。移動の新幹線でも、自分だけ禁煙車に移ってしまったこともあるし、バスやロッカールームでも球団に分煙を要求した。当時は喫煙する選手が大半を占めていたから、面白くないと思っていた先輩たちもたくさんいたが、桑田は折れなかった。もちろん、禁煙に関しては桑田の言ってることが正論だったしね」
「桑田の禁煙」は、巨人の球団史では知る人ぞ知る有名な“内紛”だった。タバコ嫌いの桑田氏は、1986年の入団直後から球団に禁煙や分煙を直訴していたものの、宮本氏の言うように、当時は喫煙選手のほうが多数派で、世間では「受動喫煙」などという言葉もなかった。桑田氏がむしろ異端扱いされたのは、そういう時代だったからだ。