メジャーリーグの名門ニューヨーク・ヤンキースで7シーズン戦った田中将大が8年ぶりに楽天イーグルスに復帰する。年俸は日本球界最高の9億円(推定)プラス出来高で、2年契約を結んだ。野球担当記者が語る。
「田中はワールドシリーズを制覇していなかったし、まだ脂の乗った32歳。試合数の少なかった昨季こそ3勝に終わったが、2年前までは6年連続2桁勝利を挙げている。まさか、本当に日本に帰ってくるとは思いませんでした」(以下同)
田中は2013年、24勝0敗1セーブという文句なしの成績を上げ、星野仙一監督率いる楽天を初の日本一に導き、海を渡った。以降の7年間、チームは一度もリーグ優勝を果たせず、Aクラスも2回のみ。3度も最下位に沈んでいる。今年から指揮を取る石井一久GM兼監督にとって、田中の復帰はこの上ない朗報となっただろう。
「楽天は快く田中を送り出しましたし、オフの自主トレ期間中も練習場所を貸し出していた。復帰するかどうか全くの未知数なのに、背番号18をずっと空けて待っていた。両者の良好な関係はメジャー移籍後も続いていました。長年の誠意が、田中に伝わったのだと思います」
日本からメジャーへ移籍した選手は数多いるが、日本球界に復帰する際、必ずしも古巣に帰ってくるわけではない。阪神の藤川球児やヤクルトの青木宣親、巨人の上原浩治などのように元の所属へ戻ってくる選手がいる一方で、新庄剛志(阪神→メッツなど→日本ハム)や福留孝介(中日→カブスなど→阪神)、西岡剛(ロッテ→ツインズ→阪神)、岩隈久志(楽天→マリナーズ→巨人)などのように球団が変わる選手も目立っている。また、松井秀喜のように巨人復帰を望まれながらもアメリカで引退する選手もいる。
「田中と違い、松井は2002年に巨人からFA宣言する記者会見で、『何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか松井は行ってよかったと思われるように頑張るしかない』と悲壮感を滲ませていた。当時は巨人戦が毎試合、地上波でナイター中継されており、球界は巨人を中心に回っていた。今と異なり、巨人を出ていくことは相当な勇気が要ったはずです」
野茂英雄が1995年にドジャースで成功してから、日本人選手のメジャー挑戦が本格的に始まった。ただ、打者は2001年にイチローと新庄剛志が初めて契約したばかりで、投手も含めて巨人から飛び出す選手はいなかった。まして川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳と伝統のある巨人の4番を捨てることは、オールドファンの価値観に背くことでもあったのかもしれない。