出会いから52年。子育てに家事、仕事のサポートまで、妻はすべてを自分に捧げてくれていたはず。それなのに繰り返してしまった裏切り行為。大切な存在にやっと気づいた、ふたりきりの最期の時間──。
かつて美しい花々が咲き乱れていた庭は、枯れ果てた植木鉢と空のペットボトルで埋め尽くされていた。ここは、大阪府内にある桂文枝(77才)の自宅。近所から「白亜の豪邸」とうらやましがられた一戸建てから、住人が姿を消して3年半になる。
文枝は今年に入り、連日の悲報に見舞われた。1月24日に妻の眞由美さん(享年67)が逝去し、翌日に母の治子さん(享年100)が亡くなったのだ。主を失った豪邸を閉ざす門扉には、故人を偲ぶ花がひっそりと手向けられている。この静まり返った豪邸こそ、背信を重ねた文枝が「改心」した証だった。
文枝は太平洋戦争まっただ中の1943年に、大阪府堺市に生まれた。出兵した銀行員の父は、文枝が生後11か月のときに戦病死している。治子さんは文枝を女手ひとつで育てあげ、落語の世界に送り出した。
「苦労して大学まで出した一人息子には、本当なら企業に就職してほしいという思いが強かったようです。ですが息子の意思を尊重して、噺家の道を応援すると決めたのです」(治子さんの知人)
大学卒業後、落語家人生をスタートさせた文枝はラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』(毎日放送)の司会で早々にブレークする。以降、治子さんは長年にわたり、息子の活躍を見守り続けた。
「治子さんはいつもうれしそうに息子さんの話をしていました。寄席にもよく足を運んでいたんですが、2005年頃に足を悪くしてからは、寄席に行けなくなったって寂しそうに話すことが増えたんです」(前出・治子さんの知人)
そして2015年頃になると、治子さんは認知症を患う。文枝は2016年1月、自身のブログに若き日の治子さんと自身のツーショット写真を掲載して、《(撮影された)場所がわからない》《頼りになるのは母 94歳 さっぱり覚えてないようです ぼくのことすら わからなくなっている》と、認知症の進行を寂しそうに綴っている。この当時、治子さんの介護を担っていたのは文枝ではなく眞由美さんだった。
ふたりの出会いは、眞由美さんがまだ15才の高校1年生にまで遡る。
「文枝さんが出演する『ヤングタウン』の公開放送を、眞由美さんが制服のまま聴きに行ったことで、文枝さんの目に留まったそうです。その後、眞由美さんは番組のオーディションにも参加するようになって、彼女を見初めた文枝さんが、ラジオ番組のアシスタントに起用しました。
仕事上のコンビがいつの間にかつきあっていて、眞由美さんが19才になった翌日に結婚してしまった。彼女はまだ大学生でしたから、大きな話題になりました」(芸能関係者)
2人の子宝にも恵まれたが、文枝は家庭を顧みずに“芸事”に没頭していく。