コメディアンとして芸能界の頂点に上りつめた萩本欽一(79)だが、半世紀にわたって連れ添い、彼を支え続けた妻の存在は知られていない。名は澄子さん。その最愛のパートナーが、半年前にがんで亡くなった。欽ちゃんは、妻の病、そして死にどう向き合ったのか──コラムニストの石原壮一郎氏が聞いた。
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そう言えば、スミちゃん(澄子さん)はもういないんだよね。去年の8月に82歳で亡くなって、もうすぐ半年になる。でも、あんまり実感がない。自宅に帰れば、今までどおりの調子で「あら、久しぶりね」なんて言ってくれる気がする。そんな顔しか思い浮かばないんだよね。
「雲の上のまた上」の女
がんが見つかったのは、4年前。そのときはお医者さんに「あと半年ぐらい」って言われたんだけど、がんばってくれた。あんまり急だと、ぼくも3人の息子たちも、心の準備が間に合わないって思ったのかな。
亡くなる前の1週間ぐらいは、もうスミちゃんは言葉を口にできなかった。だけど、大事なことをいっぱい話せた気がする。長いあいだ夫婦をやってても、最後の最後にならないと、話せないことってあるんだね。
スミちゃんと出会ったのは、ぼくが浅草の東洋劇場に入った60年ぐらい前。3つ年上のスミちゃんは、一番人気の踊り子さんだった。新人のぼくにとっては、目を合わせるのも恐れ多い「雲の上のまた上」にいる存在だった。
そっからは話すと長いけど、無名時代のぼくはスミちゃんにとってもお世話になった。でも、ぼくがコント55号で有名になったら、スミちゃんは浅草から姿を消しちゃったんだよね。
どうにか見つけ出して、やがて子どもができたら、またいなくなった。記者会見を開いて「じつはぼく、結婚してます。子どももいます」って発表したのがプロポーズ代わり。
スミちゃんは「芸能人の奥さんなんてなりたくない。いい迷惑よ」って嫌がったんだけど、頼み込んでどうにか結婚してもらったの。