かつて3つの冠番組の視聴率を足すと100%を超えたことから、「視聴率100%男」と呼ばれ、コメディアンとして芸能界の頂点に上りつめた萩本欽一(79)。しかし、半世紀にわたって連れ添い、彼を支え続けた妻の存在は知られていない。その最愛のパートナー・澄子さんが、半年前にがんで亡くなった。欽ちゃんは、妻の病、そして死にどう向き合ったのか──コラムニストの石原壮一郎氏が聞いた。
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ここ何年かは、スミちゃん(澄子さん)は骨折で何回か入院してたんだけど。お見舞いに行こうとすると「すぐ退院するから、来なくていい」って言うんだよね。
「もう東名に乗っちゃったよ。お見舞いの品を置いたら帰るよ」って言って強引に向かった。そしたら、近所に住んでて最後まで面倒を見てくれた義妹に、「すぐ来い」って連絡したみたい。なんだろうと思って駆けつけたら、「眉を描いてほしい」だって。入院するときは、まずお化粧道具を準備してたらしい。
昔から、ぼくが家に帰ったときには、いつもお化粧してて、オシャレなんだなと思ってた。亡くなってから義妹が「義兄さんに会うために決まってるじゃない」って。ぼくの前ではお酒は一滴も飲まなかったけど、実際は好きだった。ぜんぜん知らなかったな。
家にみんなが集まったときに、息子が「お父さんのどこが好きだったの?」って聞いたら、
「うーん、『好き』って思ったことはないわね」
なんて言うから、ぼくが「じゃあ、なんで結婚してくれたんだよ」って問い詰めた。そしたら、ちょっと考えて、
「ファンだったのよ。今もずっとファンなの」
そう言ってくれた。あれは嬉しかったな。
「ありがとうね」
スミちゃんから初めて「ありがとう」って言葉を聞いたのも、4年前にがんがわかってからだった。
ある日、ぼくが見舞いに行ったら、帰り際に「ありがとうね」って言ってくれた。ぼくは思わず大きな声で、
「スミちゃんから『ありがとう』って言ってもらっちゃった! 今日はとっても嬉しい日だなあ。バンザーイ!」
そう言って、本当に両手をあげてバンザイしたんだよね。
人間って、死を意識すると、素直になれるのかもしれない。「一生懸命」って言葉があるじゃない。命を懸けて一生を振り返って、初めて「ありがとう」って言葉が出てきたのかな。そう考えると、なおさら嬉しいな。
本当に「ありがとう」を言わなきゃいけないのは、ぼくのほうだよね。でも、あらたまって言ったら、「私、もう長くないのかしら」なんて思わせちゃう。だから、なかなか言えなかった。