菅首相は「たたき上げの苦労人」というイメージによって、今にいたる地位を築いている。だが、足かけ5年にわたって菅氏を取材し、評伝『菅義偉の正体』の著書があるノンフィクション作家・森功氏によれば、そのイメージは誤りだという。森氏は、高校の同窓生ら関係者に取材し、その結果浮かんだ疑問を菅氏本人にぶつけた。菅氏の上京秘話にまつわる真実が明らかになったインタビュー(2015年8月1日に実施)を再録しよう。
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──(菅氏の)高校の同窓生は、教師を志して北海道教育大学を受験して失敗したことが原因で上京したと話していたが、なぜ郷里を離れたのか。
「北海道教育大を受けた事実はまったくありません。高校三年生のときはどこの大学も受けていません。母や姉だけでなく、叔父や叔母など親戚が教師だらけだったので、教師にだけはなりたくなかった。かといって、農業を継ぐのも嫌でした。それで、ある意味、逃げるように(東京へ)出てきたのです」
──ご自身のHPには集団就職のため上京したかのように書かれている(2019 年に削除)。いわゆる集団就職は中学校卒業後に上京して就職するケースを指すので、違うのではないか。
「私のところでは、同級生の友だち120人のうち、60人が中学校を卒業して東京に集団就職していました。残った60人のうち、(半数の)30人は農家を継いで、高校に行ったのは30人しかいません。そんな田舎でした。で、高校を卒業すると、東京に出る友だちもいっぱいいたし、それも集団就職。高校を出て就職しても、そういう言い方をしていました。なのに、菅はまるで集団就職を売り物にしているかのように、訂正しないのはそのほうが都合がいいからだ、とまで言われる。私は、高校でちゃんと就職を紹介してもらってこっちへ出てきています。それが段ボール会社で、そこで働き始めたんです」
高校から職場を斡旋してもらったから、集団就職は間違いではないという。もっとも、東北地方の集団就職は国鉄の仕立てた「就職列車」に乗り、上野駅を目指したケースを指すのではないか。菅が進学できる家庭環境にあったのはたしかだ。にもかかわらず、なぜ高卒で就職する必要があったのか。
──同級生たちが言うように、上京のきっかけは父親への反発からか、あるいは進路を巡る父子の確執があったのか。そもそもなぜ進学をせずに東京を目指したのか。
「親父は、やっぱり農業をやらせたかったんでしょう。だけど、私は東京に行けば何かいいことがあるんじゃないか、と思って上京しました。一方で親父にしたら、長男なのでどっちみち帰ってくるんだろうと思ってたんじゃないですか。しかし東京に行っても、何にもいいことがなかった。そこで初めて、現実がいかに厳しいかに直面しました。私が一番思い出したくない青春です」
──就職して何一ついいことがなければ、そのまま地元へ帰ろうという気持ちにならなかったのか。そこから法政大学に行ったのは、なぜか。