中国のネット上で1971年と2021年のカレンダーを比較した画像が話題になっている。1971年と今年は日付と曜日の配置がすべて同じなのだ。
50年前の日本は「もはや戦後ではない」宣言から15年、ファッション、音楽、食など多方面でアメリカ文化の洗礼を受け、元気と明るさに満ちていた。コロナ禍で塞ぎがちな2021年とは、まったく異なる雰囲気だったのだろう。
そんな1971年の日本の音楽界はどんなものだったのだろうか。
GS終焉とフォークソング台頭に加え、洋楽ロックが浸透
1971年ヒットしたのは、演歌や歌謡曲では、五木ひろし『よこはまたそがれ』、欧陽菲菲『雨の御堂筋』、加藤登紀子『知床旅情』、鶴田浩二『傷だらけの人生』など。尾崎紀世彦『また逢う日まで』が第13回日本レコード大賞を受賞。
そんな中、上條恒彦と六文銭の『出発(たびだち)の歌』が第2回世界歌謡祭でグランプリを受賞。ソルティー・シュガーの『走れコータロー』が注目されるなど、シンガーソングライターの存在感が増す。そして、ザ・タイガースの解散でGSブームが終わりを告げ、フォークソングやロックが台頭し始める。
「私は、中学まではグループサウンズ(GS)にキャーキャー言っていました。この年、高校生になって、自分の中で音楽的な潮目が変わりました。そのきっかけが、当時来日したグランド・ファンク・レイルロード。雷雨となった後楽園球場での伝説ライブを見に行って、洋楽の洗礼を受けたのを、いまでも鮮明に覚えています」と話すのは、スタイリストの中村のんさんだ。
1971年は大物の外国人ミュージシャン(外タレ)が毎月のように来日した記念すべき年でもあった。
「高校1年生ながら、外タレのコンサートに行きました。はっぴいえんどがLP『風街ろまん』を発表したのもこの年。彼らが歌う日本語ロックも鮮烈でしたね。ジョン・レノンが『イマジン』を発表し、日本人女性としてオノ・ヨーコさんに憧れていたのを覚えています」(中村さん)
この年、GSブームの最後を飾るように、ザ・テンプターズとザ・スパイダース、ザ・タイガースが合流し、萩原健一と沢田研二がツインボーカルの『PYG』というグループが短期間ながら結成されたのもメモリアルな出来事だ。コラムニストの泉麻人さんはいう。
「洋楽では、ニール・ヤングやキャロル・キングがラジオでよく流れ、フォークでは岡林信康や吉田拓郎が主流でした。拓郎の『今日までそして明日から』が入ったLPをぼくは友達とよく貸し借りしていて……1972年頭に『結婚しようよ』が発売されてヒットしたんです」(泉さん)
荒井由実や井上陽水が登場するのも1972年からだ。