今も昔も傑作と言われるドラマのジャンルに“バディもの”がある。暑苦しい男同士から異色の男女タッグまで、多様なコンビがドラマを彩ってきた──。
名バディが活躍するドラマの先駆けとして強烈なインパクトを残したのが、木暮修(萩原健一)と乾亨(水谷豊)の『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)である。
探偵事務所で汚れ仕事ばかりさせられるチンピラ風情の修と、彼を「兄貴」と呼んで慕う亨。その不思議な関係性に当時の若者は夢中になった。同ドラマの大ファンである漫画家の杉作J太郎氏が語る。
「放送翌日、学校は『傷だらけの天使』の話題でもちきりでした。行き場を失った“兄貴”と“亨”は組まざるを得ない状況で、お互い依存し合っている。だけどどちらも信じ切ってはいないという奇妙な関係でした。
最終回で、風邪をこじらせて亡くなってしまった亨を風呂に入れて『あったかいだろう』と言いながら、いつも『女を抱きたい』と口にしていた亨の体にヌード写真を貼ってやる。その後、亨の遺体をドラム缶に入れ、リヤカーに載せてごみ処理場に運び捨てて逃げ帰る……。若者のやりきれない挫折を描いたシーンで、今でも伝説です」
他のファンからも懐かしむ声が上がった。
「『ア~ニキ~!』って言い方の真似ばかりしていた。亨の情けないけど憎めない感じがすごく好きだった」(60歳会社員)
「汚い部屋で、牛乳をこぼしながらガブ飲みし、トマトと缶詰のコンビーフをむさぼり食うオープニングのショーケンの姿はとにかくカッコよかった」(65歳自営業)
マツが語る「トミーとオレ」
1970年代に数々の名コンビを生んだのは刑事ドラマだった。
特に支持されたのが、『俺たちの勲章』(1975年・日本テレビ系)の中野祐二(松田優作)と五十嵐貴久(中村雅俊)だ。中野は武闘派で革ジャンにグラサン。後輩の五十嵐は優しくて涙もろく、スリーピースのスーツと、キャラも服装も正反対だった。
「街中でドンパチやっちゃうくせに、危なくなるとアラシ(五十嵐)に『お前、先に行けっ!』って(笑い)。ちょっと笑える松田優作が最高でした」(63歳会社員)
同作の企画を務めた日本テレビの元ドラマプロデューサー・岡田晋吉氏が振り返る。
「キャラクターが正反対の2人を組ませたら面白いと考えた。“犯人が罪を犯せば、監獄にぶち込める”と考えて行動する優作に対し、雅俊は“被害者を出さないために犯罪を未然に防ぐ”という思いで現場に駆けつける。タイプの違う2人の衝突がウケた」