コロナ騒動は長引き、どこか閉塞感が漂う2021年。しかし今から50年前の1971年、日本は希望と元気に満ち溢れていた。こんな今だからこそ、50年前の世相を振り返る。
子供に人気なものの代名詞であった「巨人・大鵬・卵焼き」。このフレーズは作家で経済企画庁長官も務めた堺屋太一さんが生みの親だ。コラムニストの泉麻人さんはいう。
「当時人気のあった横綱の大鵬が初優勝したのは1960年の11月場所ですが、引退を決意するのが1971年の5月場所のこと。大鵬が引退し、北の富士と玉の海の“北玉時代”が始まると思っていた矢先、玉の海が盲腸炎をこじらせて亡くなったのはショックでした」(泉さん)
一方、野球では巨人が日本シリーズでV7を達成。まさに全盛期だった。翌年2月の札幌五輪70m級スキージャンプでは、日本チームが金銀銅のメダルを独占し、日本中が沸いた。
洋画のラブストーリーに憧れ、少女漫画に心酔した日々
ベストセラーとなった作品には、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』(角川文庫ソフィア)や高野悦子の『二十歳の原点』(新潮文庫)、北山修の『戦争を知らない子供たち』(角川文庫)などがある。下半期の芥川賞は李恢成の『砧をうつ女』(文藝春秋)だった。
「映画では『イージー・ライダー』などのアメリカン・ニューシネマが何度もリバイバル上映され、『ある愛の詩』や『小さな恋のメロディ』も大人気に。いま以上に“洋画を見る”のがおしゃれな過ごし方だったので、2対2や3対3のグループデートで洋画を見に行くことが、当時、結構ありましたね」(泉さん)
少年漫画では『あしたのジョー』(講談社)と『男一匹ガキ大将』(集英社)が人気の双璧で、谷岡ヤスジは過激な作風で人気を集めた。その一方、当時の少女漫画にハマった女子も少なくなかった。スタイリストの中村のんさんはいう。
「あの頃は、一条ゆかりに夢中で、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子も大好きで貪り読んでいました」(中村さん)
1971年は漫画界のレジェンドが登場した年でもある。