停滞感や閉塞感が漂っている今の日本に、もしも昭和を代表する政治家・田中角栄氏がいたら、このコロナ禍をどう乗り切っただろうか──。ジャーナリストの田原総一朗氏が、過去の歴史から現状を打破するヒントを提言する。
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田中角栄の真骨頂は、「責任は俺が持つ」と担当者に完全に任せて、全力で対処させる器量、度量があるということでしょう。
1962年に池田勇人内閣で大蔵大臣に就任した際、大蔵官僚への挨拶で、
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!」
と言い切った。コロナ禍でも田中角栄は、同様の姿勢で臨むでしょう。
菅総理はワクチン対応で河野太郎を責任者に据えました。本来なら田村憲久・厚労相や西村康稔・コロナ対策担当相が扱うものです。河野の起用が悪いわけではないが、田村、西村に加えて河野を入れれば、人数が多すぎて責任が分散してしまう。
今すべきは、新型コロナ対策の「司令塔」を任命して、その一人に任せることです。そして「すべての責任はこの菅義偉が背負う」と言い切る。菅総理にその器量があるでしょうか。
田中角栄の構想力があれば、コロナ対策も変わっていたでしょう。
1968年に田中は自民党都市政策調査会長として「都市政策大綱」を取りまとめた。この大綱は、後の『日本列島改造論』の元となる構想です。大綱のエッセンスを分かりやすくまとめたのが列島改造論でした。
この大綱を出した背景には、当時の社会問題と、政局がありました。きっかけは、都知事選で社会党、共産党が推薦した美濃部亮吉が当選し、その後には名古屋や大阪でも革新が勝った。この状況に田中は危機感を持ちました。
大衆が革新を支持するのは、太平洋側の都市の工業化が進み、過密や公害が問題になった。一方で日本海側は過疎化が進む。どちらも不満がたまっていったのです。では、どうするか。その答えを示したのが都市政策大綱でした。