政治や経済のみならず、スポーツ界にも停滞感や閉塞感が漂っている。ノスタルジーに浸るつもりはないが、昭和の時代を彩った横綱・大鵬が今の時代に生きていたら、このコロナ禍をどう乗り切っただろうか──。芥川賞作家の高橋三千綱氏が歴史を振り返りながら想像した。
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連続6場所2回を含む優勝32回を記録した昭和の大横綱・大鵬ですが、横綱としての品格も抜きんでていました。
北海道の貧しい家庭に生まれた大鵬は、偉大な大横綱になっても慢心せず、付け人たちには「小遣いはあるか」「飯は食っているか」と常に気遣う人だった。
行司の差し違えで45連勝という大記録が途切れ、「世紀の大誤審」と言われた戸田戦(1969年春場所)でも大鵬は「あんな相撲を取った自分が悪い」とコメントしている。これぞ、横綱の品格である。
そんな大鵬が今の時代に生きていたらさぞや嘆いたでしょう。
相撲協会は1場所4億~5億円とも言われるNHKからの放映権料のことしか考えていない。無観客や観戦制限で強行開催しようとする姿勢に対して、大鵬が現役横綱だったら「相撲は満員の観衆の前で取るものだ」と宣言して休場してたでしょうし、もし八角親方(元横綱・北勝海)のように理事長の立場なら本場所の中止を即刻、決断したはずです。
大鵬は江戸時代の相撲取りに憧れていた。当時、相撲は“庶民の娯楽”であり、土俵周りを人が取り囲み、やいのやいのと歓声を浴びながら取るもの。大鵬も国技館を埋め尽くす観衆の前で取らなければ意味がないと。観客に対しても気遣いをする横綱だった。