NHKの『みんなのうた』が4月に放送開始60年を迎える。その歴史の中で生み出された曲数は実に1500。世代を超えて歌い継がれる数々の名曲を生んだ番組は、どう誕生し、どんな歴史を歩んだのだろうか。
「この日本で、『みんなのうた』を聴いたことのない人はいないと思います」
そう語るのはV6の井ノ原快彦(44才)だ。
「ぼくも子供の頃見ていました。学校ではカッコつけて歌わなかったけれど、家に帰ると自然と口ずさんでしまうんですよね」(井ノ原・以下同)
今年、NHK『みんなのうた』が60年を迎える。記念すべき年に、番組やイベントなどで『みんなのうた』の魅力を伝える「みんなのうた60」プロジェクトがスタートした。そのアンバサダーを務めるのが井ノ原だ。
「知らない人がいない番組からのオファーは光栄で、『ぜひやらせていただきたい』と思いました。長寿番組を担うプレッシャーはなく、何をやるのかという楽しみの方が大きいです」
彼もまた60年に名を刻んだひとり。メンバーを務めるV6が1997年にカバーして大ヒットした「WAになっておどろう」は、もともと『みんなのうた』で流れていたものだ。2017年にはV6として歌った「太陽と月のこどもたち」も同番組で使用された。
「『WAになっておどろう』はカバー曲ですが、V6の代表曲の1つだと思っています。最近のV6のコンサートは親子連れが多く、前半で寝てしまった子供たちが目を覚ます後半に、この曲を歌ってみんなで楽しむということもありました。ぼくの持論は、『どれだけ優秀なアーティストも子供の歌にはかなわない』というもの。子供たちが大きな声で歌うと大人は癒されますよね」
1961年4月3日に記念すべき第1回が放送された『みんなのうた』は、1回5分の番組で1~2曲を流し、2か月ごとに楽曲が変わる。60年間で生み出された楽曲は、実に1500曲以上にも及ぶ。同番組の熱狂的ファンが集うファンクラブ「熱中人」のメンバーである富澤瑞夫さん(66才)が初めてこの番組を見たのは小学1年生の頃だった。
「当時の歌番組は歌手が立って歌うのが当たり前だったので、歌と映像が合わさった番組に衝撃を受けました。ちょうどその頃、長野から東京に引っ越したのですが、全国どこでも見られるNHKで放送された『みんなのうた』が子供の共通言語になったおかげで、学校に早くなじめた。番組の歌を歌えると『すごいね』と人気者になれたんです。それ以来ずっと番組のファンで、いまも『熱中人』のメンバーは年に1度集まって、近況を報告しています。個性豊かな人ばかりですよ(笑い)」(富澤さん)