数日前までの陽気が嘘のように、朝から厳しい冷え込みに見舞われた2月26日——。東京・麻布にある古刹・賢崇寺では、今年も「二・二六事件」関係者の法要が執り行なわれた。
青年将校らの遺族会である仏心(ぶっしん)会が主催するこの法要は、事件後に刑死または自決した将校たちだけでなく、彼らによって殺害された被害者を含むすべての事件関係者の冥福を祈る法事として、毎年20〜30人前後が参加して行なわれている。
事件からちょうど85周年となる今年はしかし、新型コロナ禍の影響が懸念された。実際、遺族の多くが高齢となっており、万が一感染すれば重症化の危険もある。それでも、「86回忌」はコロナ対策を施しつつ極力人数を制限して行なうことになった。仏心会の前代表理事で、安田優(ゆたか)少尉の遺族である弟・善三郎さん(95歳)が語る。
「私らも新型コロナは怖いですから、ふだんはずっと家の中でおとなしくしています。でも、第3波も収まりつつあるようですので、今度の法要は首都圏在住の遺族などに限り、十分な感染対策をした上でやりましょう、ということになりました」(善三郎さん)
ところが、そう語っていた善三郎さん自身が、直前になって体調を崩して欠席となった。半世紀以上にわたって、毎年2月と7月(青年将校の命日)の法要に出ていた善三郎さんが参加を見送ったのは、これが初めてのことだという。結局、今年の法要の参加者は、香田清貞大尉の甥で仏心会代表理事を務める忠維(ただつな)さんや、今泉義道少尉の次男で同会監事をしている章利さんなど、6人だった。
「渡辺邸襲撃」の指示は決行わずか半日前
今から35年前、事件から50年目の節目となる1986(昭和61)年に、この賢崇寺での法要に被害者側の遺族として初めて参列したのが、渡辺錠太郎(じょうたろう)教育総監の次女・和子さん(2016年逝去)だった。
ノートルダム清心学園の理事長などを歴任したシスター・渡辺和子さんは、『置かれた場所で咲きなさい』をはじめ数多くのベストセラーで知られているが、9歳の時に事件に遭遇し、目の前で父親が多数の兵士に殺害されるという凄絶な経験をしている。和子さんが、著書の中でたびたび二・二六事件について触れているのは、その経験の苛酷さゆえだろう。