東日本大震災から10年。被災地の人々は笑顔を取り戻したように見える。しかし、震災関連死はこの10年で3767人にのぼっている。前例のない37兆円を超える復興予算で、被災地はどこまで復興したのか──。ここでは、本誌・週刊ポストが10年間見つめ続けた「宮城県」の復興する風景を定点観測でレポートする。
●宮城・南三陸町(2011年3月20日→2021年2月19日)
JR気仙沼線「歌津駅」があった付近。駅舎は流され、すべての窓ガラスが割れた銀行では、金庫がむき出しになった。現在、伊里前川の河川堤防は8.7mの高さで整備。「歌津駅」は気仙沼線BRTのバス停留所として営業。町全体が移転し、当時の面影はない。
●宮城・気仙沼市(2011年5月4日→2021年2月26日)
現在、気仙沼港近くでは朝市なども再開され、人通りも活発になった。津波で全壊した1942年創業の老舗飲食店「かもめ食堂」も、2015年に旧店舗から数百m離れた場所で営業を再開。地元住民や漁師たちは、待ち望んでいた名物のラーメンに舌鼓を打っている。