いつの時代も政治家は失言をするもの。10年前の東日本大震災後も、政治家の失言が相次いだ。「知恵を出さないやつは助けない」(2011年7月、松本龍元復興対策担当相)、「(原発事故で)死亡者が出ている状況ではない」(2013年6月、高市早苗・元自民党政調会長)、「最後は金目」(2014年6月、石原伸晃元環境相)、「東北でよかった」(2017年4月、今村雅弘元復興相)など挙げればキリがない。
2011年9月、鉢呂吉雄経産相(当時)は福島原発周辺の自治体を「死の町」と呼び、福島第一原発視察後のオフレコ取材で「放射能つけちゃうぞ」と発言したとして、辞任に追い込まれた。
現在も立憲民主党所属の参院議員である鉢呂氏にコメントを求めたが、「今回は御遠慮したい」と断わりがあった。
政治家たちが無神経で配慮のない失言をする一方で、被災地にありながら、大きなバッシングを受けたのは福島県大熊町にある双葉病院だ。原発事故で取り残された入院患者の救助が遅れたために、約50人の患者が命を落とした。3月17日、県が入院患者の救出状況について「病院関係者は1人も残っていなかった」と置き去りにしたかのような発表を行ない、メディアがそれを一斉に報じた。
しかし、真実は違った。電気も水道もストップし、放射線量も高いなか、鈴木市郎院長をはじめ4人のスタッフは病院に留まり、看護を続けていた。震災直後から双葉病院を取材するジャーナリストの森功氏が語る。
「双葉病院がある地域は現在も帰還困難地域に指定されています。病院の敷地内は無造作に木が生い茂り雑木林のようなのに、病院内はベッドや点滴台、散乱したオムツまで震災当時のまま。
鈴木院長は2年前にがんで亡くなられたが、病院関係者は今も事実無根の報道の影響で心ない人から時折罵詈雑言を浴びている」
震災の爪痕は、かたちとして残っているものだけではない。
撮影/山崎力夫 取材/森功
※週刊ポスト2021年3月19・26日号