東日本大震災から10年が経った。被災地とそこで暮らす人たちとの関わりについて、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が振り返った。
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あの日、ぼくはひたすら電話をかけ続けていた。相手は、福島第一原発から20キロ圏内にある、南相馬市立小高病院(当時)の遠藤清次医師である。
テレビでは、刻々と原発の異常事態が明らかになり、住民の避難が始まろうとしていた。ようやく電話がつながったのは、3月16日未明。「生きていた!」と思わず叫んでしまった。
遠藤先生は、南相馬にあるもう一つの総合病院に、患者をつれて避難していた。酸素療法に用いる医療用酸素や、病院の生命線である発電機を動かす重油が残り少ないと窮状を訴えた。
すぐに、内閣府で働いていた厚生労働省の幹部職員に相談し、自衛隊の支援を受けながら、酸素や重油などを手配し、現地に運んでいくことになった。ここから、ぼくの東北支援が始まった。
温かいおでん、お風呂で悲しみをいやす力を高める
被災地に初めて入る際、避難所ではまだ一度も温かいものを食べていないと聞き、大量のレトルトおでんを持っていった。底冷えのする体育館。熱々のおでんはとても喜ばれた。お酒を飲みたい人もいるだろうと思って、飲みたい人に缶ビールを一本だけ出した。津波で船を失った漁師の男たちが涙を浮かべて、「生き返った」と言った、その顔が今も忘れられない。
避難所には、諏訪中央病院の医師や理学療法士が泊まり込み、朝、「立ち上がってラジオ体操をしよう」と呼び掛けた。避難生活では、それまでの生活リズムが崩れる。それが続くと体調を崩し、高血圧や糖尿病、脳卒中、うつなどのリスクが高くなる。それを防ぐためにも、運動で筋肉を動かし、タンパク質や野菜をとることが大事。そのことを明確に意識させられたのは、東日本大震災での支援体験からだった。
お風呂に入れない人のために「千人風呂プロジェクト」も立ち上げた。石巻に2か所、仮設のお風呂を設営し、被災者に入ってもらった。お風呂で体も心も温まれば、悲しみをいやす力もついてくる。このお風呂は1年近く続き、延べ1万人以上の人が利用した。