港は新しく生まれ変わったが「漁港造り」に終わりはない。
「漁業者の高齢化に伴って、船からの荷揚げをしやすくする設備を整える。女性が働きやすい環境にする。最近は気候変動で台風も大型化しているので、災害に強い漁港にしなければならない。海で囲まれた日本が水産立国として復活するために、漁港はその時代に求められる機能をどんどんアップデートしていくような“進化”を、常に求められているんです」
震災から立ち上がった「おらが漁港」から、今日も全国各地に新鮮でおいしい水産物が届けられている。
●田老漁協
「製氷貯氷施設」の屋根の下まで、高さ17.3mもの津波が襲った。沖の堤防も破壊。田老町は「明治三陸津波」「昭和三陸津波」と過去2度も津波で甚大な被害にあったが、その都度、立ち上がってきた。
漁師の高屋敷登さんと伊東博さんは「漁師の仕事の魅力を一度知ったら、やっぱりやめられないんだ。好きなんだよね」と語る。
田老町漁業協同組合組合長の小林昭榮さんは「田老地区の復興は漁業ががんばらなければならない。漁協を中心に団結して、復興にむけてがんばろうという思いでした」と当時を振り返る。震災後、「漁村を守っていきたい」と若い漁師が増えているという。岩手県はわかめの収穫量が日本一。なかでも田老の「真崎わかめ」は肉厚で独特の歯ごたえと風味があり、高級わかめとして知られる。
●綾里漁港
大船渡市三陸町にある漁村の綾里地区は人口約2600人の6割が漁協の組合員や家族だという。震災では、「荷捌施設」が津波により壊滅。漁船が製氷施設に乗り上げるなど、その被害は甚大だった。小石浜地区から水揚げされる「恋し浜ホタテ」が名産。
●釜石漁港
全長約100mの大型貨物船「アジアシンフォニー」(4724トン)は停泊中に津波に遭い、船首が防潮堤を突き破り、道路まではみ出していた。2011年10月にようやく撤去された。