さけやます、さば、いかに養殖のわかめ――世界三大漁場の三陸沖の恵みで、岩手県は昔から水産業が盛んだった。しかし、東日本大震災の大津波により、111あった漁港のうち108が壊滅的状況に陥った。あれから10年。現地を訪れると、見事に復興した漁港があった。
東日本大震災による岩手県全体の被害額は約1兆1000億円にのぼった。そのうち、水産業・漁港の被害額が約5600億円と半分を占め、その被害の甚大さがわかる。岩手県漁港漁村協会会長理事の鈴木俊一代議士が復興への道のりを振り返る。
「そもそも水産業というのは非常に裾野が広いんです。船で海に出て魚を獲るだけではなく、水揚げの市場、水産加工、冷蔵冷凍施設、流通、小売りなど、そのどれかが欠けても成り立たない。水産業の復興には、それらが一斉に同時に立ち上がる必要がありました。
だから、漁業活動の復旧には相当の時間がかかりました。それでも復興庁や、三陸で漁業にかかわる人々の熱意と情熱で、おかげさまで壊滅的な被害を受けた108の漁港のすべてが、震災前のレベルまで復旧に成功しました。それもつい最近のことです」(鈴木代議士・以下同)
多くの人命が失われ、生活の糧であった漁港が流された。深い悲しみと絶望に加え、震災後しばらくは港の復旧さえ危ぶまれる議論もあった。
「岩手には漁港が111ありますが、なかには所属する漁船が10も満たない小さな港もある。そうした漁港を集約した大規模漁港をつくり、そこを中心に投資しようという声が一部にありました。
しかし、それは漁業の実態を知らない人の理屈です。それぞれの海域ごとに定置網があり、養殖場があり、その近くに漁港があるから漁業活動ができるんです。わざわざ車で30分かけて大きな漁港まで行って、船で何時間もかけて漁場に行くなど、非現実的な話です。『浜』で暮らす地域のかたがたのためにも、すべての漁港を復旧させる。その思いは揺るぎませんでした」