いやいや、それよりも。母親がまだこの世に留まっているかもわからない。心不全という3文字がやたら大きく立ちはだかっているように感じた、そのときだ。
「ほら、姉ちゃんだよ」
弟とリモートがつながって、私のスマホ画面に母親の顔がアップになった。
若者言葉の「引く」ってこういうときに使うのかしら。搬送用のベッドに寝かされた母親は、髪の毛はザンバラで、浮腫んだ顔はドザエモン。鼻にはチューブがついて鼻出しマスク。思わず目を背けたくなるほどの変わりよう。
なのによく見ると、母親は首をひねって、枕元の若い医師と話しているではないの。
「どしたい?」と声をかけた。茨城弁で「どうした?」を強い口調で言うときの言葉だ。
「胸が苦しいんだよ。心臓に水がたまってるから、おしっこにして流す薬をのむんだと」と母ちゃん。耳を見たら、いつもつけている補聴器がないのに、会話がスムーズなのはどうしたことか。
それを聞く間もなく、「ここに1か月、検査入院だと? そうたにいたら(そんなに長期間いたら)、こっちが大変だっぺな」と、曲がった指でいびつな円をつくって私に見せる。入院費用のことを心配しているのだ。
「母ちゃん、大丈夫だよ。金持ちの娘がここにいっぺな」
と言ったとたん、母親の目がキラリと光った。
何が金持ちだ。私といえば60過ぎで、母が介護老人保健施設に入居する直前まで、「東京からいくらかかると思っている? 交通費、よこせ」とゆすっていたバカ娘だ。
「はぁ(もぅ)いいんだよ。おれの行き先は“サガリ”って決まってんだが」と言うから、「サガリっちゃナンだ?」と聞き返したら、「ハカバ」だって。言いながら、マスクから出た目を細めてクスクス笑ってる。
わが家の墓がある場所は町から坂を下ったところにあるもんだから、町内の人たちは「サガリ」と呼ぶ。そこに行くんだって。私もつられて笑って、「母ちゃん、サガリに行くのはいいけど、手順ってもんがあっぺ」と言うと、「手順なぁ」といたって普通の声だ。