「出所してきたばかりの人は、すぐわかる。こっちの手順通りに体を洗ってあげようとすると、黙って石鹸をふんだくって、ものすごい速さで体を洗って、シャンプーを始めるんだもの。それ、刑務所の入浴作法のまんまなのよ。
あと、ヤクザ相手で困るのが、会話ね。『年、いくつ?』と聞いてくればいい方で、一方的に『年っ!』『出身っ!』って、まるで取り調べ。会話にならないのよ。
一度、場を和ませようとして、ピチッと“気をつけ”の格好をしながら『28才であります!』『群馬であります!』って言ったら、笑うどころか青筋立てて、『てめえ、ふざけんじゃねえぞッ』って本気で怒鳴られた。『オレをバカにしてるのか。土下座して謝れっ』って言うから、仕方なく謝ったわよ。
なかにはおしゃべりのヤクザもいて、『○○一家の××を知ってるか?』って、ヤクザ業界のヒーローを語ったりするんだけど、知らないって。
ホント、あの人たちは一事が万事、なんかズレてるんだよね。そして、どこに地雷があるかわからない。だから私は、あの人たちに余計なことは言わない。淡々とお相手することにしたの」
私が身を乗り出すような話をたくさんしてくれたK子さんとは、その後、いつの間にか連絡がつかなくなった。
彼女を再び見かけたのは、20年後の山手線の中。
シートに座っていたK子さんが、前に立った私に気がついて、「あ!」と声にならない声を出したの。そして素早く眼球だけ横に動かして、連れの男がいることを知らせ、視線を窓の外に向けた。要は「挨拶無用」ってこと。
バッグこそブランドものだったけど、すっかり古びていたし、着ている洋服とか靴とかは、色褪せた暮らしぶりが見えるようで……。再会はホンの一瞬、パントマイムのような、胸の奥が痛むものだった。
それからさらに20年の年月が流れて、K子さんを思い出すこともなくなった令和3年の春。
『すばらしき世界』のおかげで、K子さんの口調までよみがえってきたの。会うたび、当たり前のように2人分の飲食代を払い、風俗の楽屋話を聞かせてくれたK子さんに、私は何ひとつお返しをしていない。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2021年4月1日号