ビジネスの場で、あるいはテレビなどのメディアで、「させていただく」という言葉を見聞きしない日はない。なぜ、「させていただく」はこれほど使われるようになったのか?「させていただく」はそもそも、正しい敬語なのだろうか?敬語は人との距離を示す言葉であり、言葉は世を映す鏡である。「させていただく」を使うことで、私たちは何を得て、何を失っているのか──。「させていただく」ブームの背景について、『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか』(ひつじ書房)の著者である法政大学の椎名美智教授に話を聞いた。
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「禁止させていただく」「努力させていただく」になぜ違和感を覚えるのか?
──「させていただく」の使用について、先生が違和感を覚えたり、これは間違っていると感じる使い方はありますか?
椎名:どんな使われ方をしていても、間違っていると感じるより、分析して面白がる気持ちのほうが強いですね。こうした本(『「させていただく」の語用論』)を出しているので、私の前で使うのを控える方もいらっしゃるのですが、決して『「させていただく」警察』ではありません(笑)。言葉は生物(ナマモノ・いきもの)、変わっていくものですから、自分が習ったときの意味や用法にこだわっていると、言語感覚が古くなってしまうと思います。
ただ、私だったら違う言い方をするだろうな、と思うことはあります。たとえば、駅などで見る、飲食を「禁止させていただく」などといったポスターの文言です。決定権があるのはあちら側なのに、こちら側に決定権があるかのように書かれているので、偽善的な印象を受けます。「申し訳ありませんが、ここでは~できません」という表現でいいと思うんです。またツイッターで、菅総理が「最大限努力させていただきます」と書かれていたのが、ちょっと気になりました。謙虚な表現ですが、「努力」は人に許可されてするものではなく、自発的に行うものなので、ここは「最大限努力します!」と言い切ってほしいですね。
──「させていただく」は現在、誰かに敬意を払うというより、使っておけば丁寧で問題ない、みたいな感じで使われるケースも多いように感じます。そもそも「させていただく」はどのような言葉なのでしょうか?
椎名:分解すると、「させて」と、“もらう”の敬語である「いただく」から成る言葉です。意味を見ていくと、「させて」で、人から何らかの「許可」をもらい、「いただく」で、人から何らかの「恩恵」を受ける。つまり本来は、許可や恩恵をもらう「他者=あなた」を前提とした言葉です。「あなたの許可を得て、ありがたいことに~をいただく」ということです。
しかし現在では、ついに相手を必要としなくなったというか、他者がいなくても使われるようになってきています。同時に、本来は自発的に行う行為に対しても、「させていただく」が使われるようになっています。それが先ほど挙げた、「努力させていただく」ですね。もはやどんな動詞にも付けられる助動詞になっていますよね。
──はい。どんな動詞にも付けられるから便利で、つい使ってしまいます。
椎名:その便利さが、ここまで広がった要因の一つだと思います。たとえば「食べる」だと、尊敬語は「召し上がる」で、謙譲語は「いただく」。敬語には言葉自体が変わるものがありますが、「させていただく」は、前に付ける言葉を変える必要がなく、うしろに付けるだけでいいんです。主語が常に「私」である、という点も大きいと思いますね。