《1に体力、2に自分を好きでいること、3に他人を好きでいること。自分が先。やっぱこれでしょう》(『婦人公論』2000年1月7日号)
過去に受けたインタビューで、女性が生きていく上で必要なものを聞かれた中島みゆき(69才)はこう答えた。「権利」や「性差」に言及するのでなく、「体力」と「愛」を語った中島。“生き方”を考えることが増えたこのご時世、多くを語らず歌で示し続けた中島の“生きざま”から学ぶべく、縁の深い人を訪ねた。
「同じスタジオを使っていたので、1部が終わった後にそのスタジオに入ると、中島さんのぬくもりを感じることができました。当時、入社2年目だった私は緊張することも多かったですが、中島さんが座ったいすに座ると、少し安心できたことを覚えています」
そう語るのは1983年にニッポン放送『オールナイトニッポン』月曜2部のパーソナリティーを務めていた上柳昌彦(63才)だ。当時、月曜1部のパーソナリティーは中島。月曜深夜に中島からバトンを受け取る立場にいたのが、同局のアナウンサーだった上柳。彼の目には、中島は自らの作品に対して寡黙に映ったという。
「中島さんは、プライベートについても語らないけれど、曲についても語らないんです。こういう経緯でこの曲ができましたという“正解”を語らないかたです」
しかし、そこがまさに中島の魅力なのだと続ける。
「正解がわからないから、謎を読み解いていくのが楽しい。私も含め、多くのファンはそう思っているはずです」
なぜ明かさないのか。中島は自分自身と作品についてもインタビューで語っている。
《責任逃れはできないんですけども、作品が私の手を離れた段階でもう、中島みゆきというのは、私のものではないのかもしれない》(前出・『婦人公論』より)
世に出した作品は、聴いて解釈するファンのもの。そんな思いがこの言葉からは見え隠れする。
『ファイト!』は「がんばれ」ではない
医師として多くの人々を見てきたおおたわ史絵の目には中島の生き方がこう映る。
「中島さんはすごく健やかに年を重ねているんだろうなと思います。私は中島さんのルックスも大好きなのですが、変な若作りをするわけではないですしね。老いにあらがって見た目の若さを頼りにするような価値観の持ち主ではないからこそ、人間としての深みや言葉の力があり、そこに魅力が詰まっていくのだと思います」