3月25日に福島からスタートした東京五輪の聖火リレーは、まずは列島を南西に向かって進んでいる。コロナ禍での開催とあって、直前になっての辞退者などが取り沙汰されるなか、五輪との数奇な「因縁」を抱える元アスリートが、義足を装着しながら、トーチを掲げて所定のルートを走りきった。レスリング元五輪代表でプロレスラーの谷津嘉章氏(64)である。40年以上にわたって親交のあるフォトジャーナリスト・山本皓一氏がレポートする。
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1976年モントリオール五輪のレスリング日本代表で、昭和から平成初期、プロレスラーとして活躍した谷津嘉章氏が3月28日、栃木県足利市で東京五輪聖火ランナーを務めた。
谷津氏が走ったのは日本最古の学校とされる「足利学校」の入徳門前から足利尊氏像までの約150メートル。一昨年の6月、糖尿病により右足を膝下から切除した谷津氏は、義足を装着しながらも見事、自力で完走を果たした。
コロナ禍の日本において、五輪のプレイベントである聖火リレーは不必要との批判がある。実際に、内定していた聖火ランナーを辞退する芸能人も多いなかで、谷津氏は私にこう言い切った。
「山本さん、オリンピックは僕の“聖域”なんですよ」
彼は1980年のモスクワ五輪金メダル最有力候補とみられていたが、ソ連のアフガン侵攻による参加ボイコットで出場が叶わなかった。これが彼の運命を劇的に変えてしまったのだ。もしモスクワ五輪で金銀銅のどれかをとれば、出身高校の系列である足利工業大学で後進の指導にあたる夢を考えていた。
「五輪に出られないのであれば、もう大学には戻れない……」
律儀な男は密かにこう考えた。その後、アントニオ猪木に口説き落とされてプロレス界へ。新日本・全日本プロレスなどで活躍。ジャンボ鶴田や長州力らとタッグを組んで5回も世界チャンピオンのベルトを獲得した。
だが、「オリンピック」は“聖域”であり“呪縛”でもあった。その葛藤は、以後も彼の背に重くついてまわった。