50才から始めた水泳、90才になっても週3回のジム通い、ステーキやすき焼きをペロリ──。4月4日に亡くなった脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)は、老いてもなお元気な姿を見せていた。
「『私が死んだら、ここに取材がたくさん来ると思うから、そのときは“先生は最期まで運動してましたよ”って言ってね』。そんな言葉が、強く思い出に残っています」
寂しそうに笑うのは、橋田さんが終の棲家としていた静岡県熱海市でパーソナルジムを経営するトレーナーの八代直也さん(49才)。
「先生と出会ったのは2009年のこと。『もう年だし、あと2、3年生きたら死んじゃうだろうからそれまで面倒見てよ』。最初はそうおっしゃっていましたが、そこから12年間、週3回のペースで一緒にトレーニングをしてきました」
『おしん』(NHK連続テレビ小説)や『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)といった国民的名作ドラマを次々に世に送り出す一方で、自身の人生の“仕舞い方”にも心を砕いていた。90才を超えてからの雑誌への寄稿や著書の中で、「人に迷惑をかけず、痛くなく死にたい」と訴え、自身が認知症や寝たきりになった場合には安楽死を望んでいることを繰り返し語ったことは、大きな話題を呼んだ。
そんな橋田さんの最期は、看取った泉ピン子(73才)が「ママって呼んだら、目を開けて。安らかに眠るように亡くなりました」と語るように、生前の希望通り穏やかなものだった。
なんとも幸福な最期だが、その裏には徹底した準備があった。