3月26日に森喜朗元首相(83)が河村建夫元官房長官(78)の議員在職30年を祝うパーティーで放った、「河村さんの部屋に大変なおばちゃんがいる。女性というにはあまりにもお年だ」発言。またしても女性蔑視の失言に世間の目は冷ややかだったが、その「女性」は永田町では知る人ぞ知る大物だった。ジャーナリスト・相澤冬樹氏(大阪日日新聞記者)がレポートする。
* * *
森氏の発言を知って、すぐに誰のことを話していたのか分かりました。その女性は、中内節子氏(89)。自民党の河村建夫元官房長官の秘書です。中内氏は議員会館の河村事務所の一番奥の特等席にいつも陣取り、知り合いが姿を見せると気さくに声をかけてくれます。
「あら、あなた。お久しぶりじゃないの。元気にしてた? ちょっと寄っていきなさいよ。先生はいないけど」
中内氏は政治の中枢、永田町で働くこと58年。あの中曽根康弘氏でも在職56年ですから、永田町歴では及びません。彼女は国会議員ではありませんが、「議員より偉い」とまで言われた大物秘書です。
私が中内氏と知り合ったのは1990年のこと。当時はNHKの記者で、初任地の山口放送局にいました。河村氏は山口県萩市選出の県議会議員でしたが、この年の総選挙で引退した田中龍夫元文部大臣の後継者として立候補し初当選。当時、田中氏の秘書をしていたのが中内氏でした。私は先輩記者の紹介で河村氏を取材するようになり、東京の中内氏とも交流が始まりました。
河村氏の議員会館の事務所は、田中氏が使っていた部屋をそのまま引き継ぎました。その流れで、中内氏もそのまま河村氏の秘書になったのです。河村氏はこう話していました。
「中内さんは田中先生が秘書を公募した時に応募してきたそうだ。それまでは化粧品会社の社長秘書をしていたようだけど、身内に政治家がいたので政治への志向があったんだろうな。1963年のことだよ。当時は森さん(森元首相)も国会議員の秘書をしていたから秘書仲間なんだ」
1970年に始まった「角福戦争」と呼ばれる田中角栄元首相と福田赳夫元首相の熾烈な政治闘争で、中内氏は福田の側近だった田中氏とともに参戦。直前に国会議員になった森氏も福田陣営の一員でした。彼らはここでも同志だったのです。