映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・田中健は、初主演映画『青春の門』のオーディションや撮影など、当時の思い出について語った言葉を紹介する。
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田中健は一九七五年、浦山桐郎監督による映画『青春の門』の主演に抜擢されている。
「いきなり最終オーディションからでした。五木寛之さんがいて、浦山さんがいて、プロデューサーがいて。そこで僕が福岡の八女の出身だと言ったら、五木さんもそうで。方言もそのままいけると。で、望んでもいないのに受かってしまいました。
浦山さんは現場を大事にされている方でした。最初に言われたのは、『役者は肉体労働だ』ということです。それで『照明のバッテリーを担げ』と。休みの日もバッテリーを担ぎましたし、北九州へロケに行った時はボタの草刈りをしました。
今から考えると、そうすることでスタッフに可愛がってもらえたと思います。現場を知れ。そのためには、まず手伝え。そういう監督の親心だったのではないでしょうか。主役だからといって特別な存在ではなく、役者というパートにいるだけだと教えてもらいました。
浦山さんは僕ら新人には優しい方でした。当時、録音のマイクの性能がよくなくて、僕のセリフがうまく録れない時があったのですが、録音技師が『もうちょっと大きな声でセリフを喋ってくれ』と言ったところ、監督が『こいつはまだ金取れない役者なんだから、お前らがちゃんと録れ』と諭してくれました。
『用意』のかけ方も普通ではありませんでした。『はい、緊張して。用意、はい!』で本番が始まるんです。それで全員がピリッとする。果たしてそれがいいのか悪いのかは分からないんですけど、画面の隅々に何かが生まれる気はしました」
父親役に仲代達矢、母親役に吉永小百合、さらに小林旭など、豪華キャストが組まれた。
「実はあまり緊張しなかったんです。というのも、仲代さんも吉永さんも小林さんも、当時の僕はよく分かっていなかったから。あのメンバーで一枚看板の主役なら、今ならびっくりします。でも、その時はプレッシャーもなく、ただ監督の言われた通りにやっていた。
監督から言われたのは、『上は見るな。とにかく下を見ろ』ということでした。『あの時代は上を見ている奴はいなかった』と。そのくらいなら、当時の僕でもできます。そうやって、分かりやすく指示を出してくれたので、やりやすかったですね」