旧ソ連のユーリ・ガガーリンが有人宇宙飛行を成功させて60年。人類の宇宙開発は飛躍的な進歩を遂げ、日本人宇宙飛行士も重要な役割を担っている。今秋には日本人として13人目の新・宇宙飛行士の募集も始まり、世界では地球の低軌道を離れ月や火星での友人宇宙飛行も計画されている。
『宇宙から帰ってきた日本人』の著書があるノンフィクションライター・稲泉連氏が、日本人宇宙飛行士12人を取材して感じた“宇宙観”の変化を解説する。
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日本人による宇宙飛行は1990年、TBSの社員だった秋山豊寛氏が、ロシアの宇宙船「ミール」に8日間滞在したのが始まりだ。宇宙からの中継における「これ、本番ですか」というその第一声を覚えている人も多いだろう。
以来、当時の宇宙開発事業団(現JAXA)の最初の宇宙飛行士・毛利衛氏をはじめ、計12人が宇宙でのミッションを経験してきた。現在は野口聡一氏が国際宇宙ステーション(ISS)に滞在しているが、日本人2人目のコマンダー(船長)として22日に宇宙に出発する星出彰彦氏に加え、今後も自身5度目のミッションとなる若田光一氏、さらには古川聡氏の飛行が決まっている。秋山氏の飛行から約30年が経ち、日本人宇宙飛行士の宇宙滞在は、今や全く珍しいことではなくなった。
そんななか、彼らの「宇宙開発」に対する意識も大きく変わりつつあると言えるだろう。例えば、JAXAはこれまでに宇宙飛行士の公募を5回行ってきたが、初回に選ばれた毛利氏、向井千秋氏、土井隆雄氏の時代、日本人による宇宙飛行は国民的なニュースだった。
一方で「第5期生」に当たる金井宣茂氏、大西卓哉氏、油井亀美也氏は「新世代」と呼ばれ、ISSの周回する地球低軌道での活動だけではなく、次なる有人宇宙開発を担う人材として期待されてきた。本人たちもそのことに意識的のようだ。以前に金井氏へのインタビューの機会を得た際、彼がこう語っていたのが印象的だった。
「ヒューストンやロシア、ヨーロッパ、日本と場所を移して訓練をしてきました。私にとっては宇宙ステーションもそうした『出張』のうちの一つ。仕事をしに行って帰って来るという感覚です」