人間は、何もないところから生まれ、何もないところへ還る。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、人生における「ゼロ地点」についてつづる。
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東日本大震災の後、「だれも一人にしない」「社会から切り離さない」ことを目指して、「よりそいホットライン」が創設された。暮らしの悩み、DV、性暴力、同性愛、自殺、被災後の暮らし、日本で暮らす外国人の悩みなど、多岐の分野にわたって24時間365日、ワンストップで相談に応じている。一日2万5000件の悩みが寄せられる。
自殺者が年間3万人を超えていた時期があるが、その後、少しずつ減少し2万件台までになった。このよりそいホットラインも貢献しているのではないかと思う。
ぼくは、創設時からこの評価委員を続けている。最近の相談では、家族の問題が目立つと聞き、なんともつらくなった。新型コロナで「ステイ・ホーム」を余儀なくされるなか、家族が家族から逃れられなくなっているからだ。
たとえば、自分の思いを、家族はまったく理解してくれないと絶望する。お互いに鬱憤をぶつけ合って、関係がこじれる。配偶者との間で、親子の間で、暴言、暴力、性的暴力がある。家族が家族に牙をむいているのである。
こじれてしまった関係は、できることなら、いったんゼロにしてしまったほうがいい。しかし、そう簡単にいかないのが家族の関係だ。だからこそ、悩みは深くなる。
6000円で始まった名優の原点
5年ほど前、BS朝日の「ザ・インタビュー トップランナーの肖像」という番組で、一番大事にしている言葉は何かと問われ、「0から0へ」と色紙に書いた。
人間生まれてきたときには、みんなゼロだった。そして、死んでいくとき再びゼロになる。どんなに浮き沈みがあったとしても、結局、ゼロで生まれて、ゼロで死んでいく。そう考えると、ぼくは気持ちが楽になる。
ぼくは、両親が離婚し、1歳10か月のとき、養子に出された。実の父親は再婚し、その後、事業を興して成功した。晩年は、糖尿病になり、さらに脳卒中で倒れた。人の話によると、お世話になったからと、病院に何億円もの寄付をして亡くなったという。
どんなに財産を築いても、あの世には持っていけない。父が大きな額を寄付して社会貢献をしたのは、死を前にして、ゼロに戻ろうとしたのではないだろうか。