往年の野球ファンが固唾をのんで見守ったライバル関係といえば、1980年代の巨人で熾烈なエース争いを演じた江川卓と西本聖の2人である。
「江川さんは誰もが認める天才。1学年上の彼が入団してくる時は“巨人に来るな!”と思いましたよ。私は入団5年目でようやくローテを掴みかけていた頃。押し出されるわけにはいかない。あの怪物を追い抜くことこそ僕の目標でした」
西本聖はそう振り返る。
1975年にドラフト外で入団した“雑草”と、高校時代からその名を轟かせ、ドラフト史に残る「空白の一日」を経て巨人にやってきた江川卓はすべてが対照的だった。
剛速球で打者をねじ伏せて三振を奪う江川と、内角に食い込むシュートで凡打の山を築く西本。2人が巨人に在籍した9年のうち8年間、交互に開幕投手を務め、エースの座を奪い合った。
2人のヒリヒリする戦いは、1979年秋の「地獄の伊東キャンプ」で幕を開ける。
ブルペンで並んで投げる江川と西本。しかし100球を超えても両者は投球練習を止めようとしない。ブルペン捕手が止めるまで、2人は300球以上を投げ続けた。
「向こうが終わるまでこっちも終われないと意地を張っていた。江川さんも僕を意識していたのかもしれません。こちらは名前も力も負けている。努力と練習量では負けられないと必死だった」(西本)
両者のライバル関係を象徴するのが1981年だ。開幕投手に選ばれた西本は18勝で優勝に大きく貢献したが、江川の成績はそれ以上だった。
最多勝(20勝)のほか、防御率、奪三振、勝率、最多完封の投手五冠を獲得。しかし、その年の球界ナンバーワン投手に与えられる「沢村賞」には西本が輝く。記者投票での“江川ぎらい”が影響したとも囁かれた。
「世間も、チーム内も“なぜ西本が”と感じていたはずです。だからこそ“沢村賞は西本で良かった”と認めさせたかった。沢村賞受賞直後の日本シリーズはその思いをぶつけました」(西本)