黄金期だった1980年代のアイドルのなかでも2トップとして並び称されるのが、松田聖子と中森明菜である。切磋琢磨するライバルの存在が、スターをいっそう輝かせたことは間違いない。
聖子を発掘した音楽プロデューサーの若松宗雄氏は、彼女との“出会い”をこう振り返る。
「オーディション出場者のカセットテープを片っ端から聴いていたら、そのなかに桜田淳子の『気まぐれヴィーナス』を歌う聖子のテープがあった。例えて言えば、台風の後に晴れ渡って空気が澄んでいくような、透明感のある伸びやかな歌声でした」
デビュー2枚目の『青い珊瑚礁』が大ヒットし、聖子は一躍トップアイドルの座に。2年後、街に“聖子ちゃんカット”が溢れるなか、まったく別の雰囲気を持って登場したのが明菜だった。
「ブリッ子」と呼ばれた聖子に対し、明菜は『少女A』などの曲のイメージから「ツッパリ少女」路線。中高生のみならず、お茶の間全体が「聖子派」と「明菜派」に二分された。
“後輩”の明菜が聖子を意識していたかと思いきや、実際は全く逆だったという。
「聖子は本当に負けず嫌いで、明菜に“負けたくない”という意識が強かった。明菜のレコードの売り上げや出演番組を知りたがっていたという報道もありましたが、実際にそう言っていたとしても不思議ではありません。同時期に資質の違う明菜というライバルがいたことは、歌唱など芸事の面でも聖子にとって絶対にプラスだったと思います」(同前)
『ザ・ベストテン』に初めて2人揃って出演し、司会の黒柳徹子が「お互いをどう思っているか」と質問したときのことだ。聖子が即座に「ライバルです」と答えたのに対し、明菜はちょっと考え込んだ表情の後に「別に……」とだけ口にした。