近年は“会いに行ける”ことを売りとするアイドルが増えたが、1980年代のアイドルはまさに「高嶺の花」であった。芸能界を席巻した「花の82年組」の早見優が、生バンドや水泳大会など、アイドル全盛期の思い出を語る。
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「花の82年組」といって、今でも思い出してもらえるのはやっぱり嬉しいですよね。当時は誰もその言葉は使わなかったですけど(笑い)。同期は松本伊代ちゃん、堀ちえみちゃん、石川秀美ちゃん、中森明菜ちゃん、小泉今日子ちゃん。最初は皆、80年デビューの松田聖子さんのフリフリ衣装がベースとなってキャピキャピした感じで売り出されましたが、徐々にそれぞれの路線を確立していきました。
デビュー時は生放送の歌番組の全盛期。特に月曜は18時から『レッツゴーヤング』(NHK)の公開収録、20時から『歌のトップテン』(日本テレビ系)の生放送、22時から『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の生放送があり、この3つすべて出演が決まると、もうてんてこ舞いでした。でも生バンドの前で歌うのって、今となっては本当に贅沢なことですよね。
こうした歌番組での出演者の構成は大体が大御所+アイドルでしたから、同期の皆とは番組でほぼ毎日顔を合わせていました。ちなみにシブがき隊も同期です。当時はモックン(本木雅弘)じゃなくて、どこかやんちゃな感じのヤックン(薬丸裕英)が一番人気でしたね。
生放送でビックリしたのは、リハーサルでは普通にカメラを回しているのに、いざ本番になると足から舐めるようなアングルで撮られること。母に言うと「ハワイでは平気で水着になっていたじゃない。水着だと思えばいいのよ」と言われて(笑い)。でもそれで気楽になりました。
水着といえば、毎年夏に行なわれる「芸能人水泳大会」はどうしても苦手でした。泳ぐのが遅いのに、ハワイ出身だからっていうだけで、競泳に出されていたんです。運動が苦手で知られたあの伊代ちゃんよりも遅かったんですから(笑い)。でも色んなことをやらせてもらえた、本当に良い時代だったと思います。
【プロフィール】
早見優(はやみ・ゆう)/1982年歌手デビュー。『夏色のナンシー』などのヒット曲あり。現在はバイリンガルをいかしたNHK WORLDの料理番組、その他ライブやミュージカルなどで活動中。
撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2021年5月7・14日号