アイドル史に燦然と輝く存在が、1980年代中期に登場した女性アイドルグループの先がけ「おニャン子クラブ」。その中心メンバーだった新田恵利が、当時の“混乱の日々”を語る。
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おニャン子クラブの帯番組『夕やけニャンニャン』がスタートしたのは、1985年4月のことです。埼玉の県立高校に通っていた私は、学校が終了した後1時間半かけて、当時新宿・河田町にあったフジテレビに通っていました。
ただ、実は始まって1か月くらいで、ナカジ(中島美春)と「私たち(芸能界に)向いてないよね」ってすでに辞めようとしていたんです。でも番組開始直後に、11人いた初期メンバーのうち5人が未成年喫煙を週刊誌に撮られて脱退したこともあり、ここで私たち2人まで抜けるのも何だから、もう少し落ち着いてからにしようと留まりました。結局1年半続けましたが、今考えても、いきなり辞めようとしていたくらい、芸能活動はバイト感覚だったなと思います。一度、ディレクターの方に出演を週3回にしてくれないかと頼んだくらいですから(笑い)。
おニャン子時代の話では、よく国生さゆりちゃんとの確執について聞かれますが、別に何かがあったわけではなく、クラスの中で合う子と合わない子に分かれていたくらいの感じです。
とにかく筋が通っていないと嫌な性格なものですから、一度撮影ロケ現場で突然水着を出された時に「聞いていません」と強気にスタッフに説明を求めたりしたこともあります。当時から何をやるにしても流されずに、責任を持って行動したいという意思だけはありましたね。
また、当時は電話帳にアイドルの住所が載っていた時代で、ファンに簡単に実家を知られました。泥棒が入って部屋の物が盗まれることもあったし、家の外にあるものはいつも何かが盗まれました。父が朝起きて最初にやることは表札を書くことというくらい、表札は毎日なくなっていましたね。兄が家の前の道端で蹴った石ころまでファンが持って帰っていました(笑い)。今となっては考えられない時代ですね。
【プロフィール】
新田恵利(にった・えり)/1985年、おニャン子クラブ会員番号4番としてデビュー。1986年には『冬のオペラグラス』でソロデビューし、オリコン初登場1位を獲得。現在はタレント・女優として活動中。
※週刊ポスト2021年5月7・14日号