80年代の女性アイドルを語る上で避けて通れないのが、松田聖子と中森明菜である。今でもよく対照的に扱われる2強だ。それに続く存在とされたのが小泉今日子である。彼女たちは自身の活動はもちろん、「親衛隊」と呼ばれた熱狂的なファンの組織を含めて、日本アイドル史に大きな足跡を残した。今回はそれぞれのファンが一堂に会し、3人の影響力と、ファンとしての思い出を語った。
Aさん(60代男性)/松田聖子ファンクラブ会員
Bさん(50代男性)/中森明菜ファンクラブ会員(親衛隊は見習い期間で除隊)
Cさん(50代男性)/小泉今日子親衛隊元見習い
A:80年代、「王道」といわれるアイドル像を作ったのは間違いなく80年デビューの松田聖子。これには皆さん異論はないですよね。
B:ないですね。「花の82年組」はもちろん、あの頃のアイドルは、最初はみんな聖子ちゃんカット+フリフリのミニスカートで、ぶりっ子笑顔。松田聖子のコピーが量産されている感じだった。
C:キョンキョンも最初は完全に聖子の影響を受けていました。
A:ただ聖子は影響力が大きい分やっかみや反感もあって、バッシングにも晒された。ファンはそれに耐えるのも大変でしたよ。忘れられないのは『ベストテン』(1980年9月18日)で『青い珊瑚礁』が初の1位をとった時。嘘泣きシーンが映し出されてから、ぶりっ子のバッシングが始まった。それから「嘘泣き聖子」の烙印を押され、聖子ファンは学校では肩身の狭い思いをしました。
B:そんな“ぶりっ子”聖子に対抗するように登場したのが明菜。クールでミステリアスな大人の雰囲気を出すアイドルは今までいなかっただけに、一気に火がついた。聖子vs明菜といった図式が出来上がりましたよね。
C:キョンキョンも5枚目のシングル『まっ赤な女の子』(1983年)でいきなりショートカットになり、アイドルはロングヘアが当たり前だった時代に斬新な価値観を示しましたよね。ここからキョンキョン伝説が始まり、1986年に出した写真集『小泉記念鑑』で全身にペンキを塗っての“人拓”を披露。あれには度肝を抜かれました。僕らは“キョン拓”って言ってましたね。