『週刊ポスト』の人気企画「昭和のライバル秘話」シリーズでは、5月10日発売号で、東映任侠映画の二大スター、高倉健VS菅原文太を取り上げている。後輩だった菅原が高倉を立てつつも、まったく違うヤクザの姿を演じた熱演にファンは酔いしれたものだ。同企画で二人との共演の思い出を語ったのがガッツ石松氏。高倉&菅原の最後のそろい踏みになった『神戸国際ギャング』(1975年公開)に若い衆の役で出演している。二人を「俺たちの時代のヒーロー」と語るガッツ氏に、改めて思い出を聞いた。
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『神戸国際ギャング』は昭和50年だよな。健さんが親分で、その若い衆の一人として出させてもらった。健さんと文太さんは俺たちの時代のヒーローじゃないですか。そりゃ、うれしかったよね。当時、俺は現役の世界チャンピオンだったの(WBC世界ライト級王座)。しかも、その時はちょうど日本人の世界チャンピオンがガッツ石松しかいなかったんだよ。だから、東映の任侠映画の生みの親といわれた俊藤浩滋さん(東映プロデューサー)がね、「ガッツ石松を出したら面白いんじゃないか」ということでキャスティングしたんだと思う。
唯一の現役王者だから、健さんや文太さんから見てもスポーツ界のヒーローだというんで、撮影ではよくしてくれたよ。スタッフがあれこれ俺にぞんざいに指示してカチンとくることもあったんだけど、そういう時は健さんが、「おい、それはないだろう」と注意してくれていたね。健さんは明治大学でボクシングをやってたということで、興味もあったんだろうね。撮影の合間にシャドーボクシングを見せてくれたりもしたよ。
文太さんとは、その撮影から仲良くなったんだよね。よく酒を飲んだりもしたね。俺が新宿でやっていたサパークラブにもよく飲みにきてくれたよ。世間では、男が嫁さんの尻に敷かれてるとか、子供の家庭内暴力がひどいなんて言われてる時代だったから、親父が一家の柱として雷をドーンと落とさなきゃダメだ、なんて話を俺がして盛り上がってね。それで俺が発案、文太さんには会長になってもらって『雷おやじの会』なんてのを作ったの。相撲の輪島さんや坂本九さんなんかもメンバーだったよ。