放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、チャーリー浜の訃報をきっかけに思い出される一発ギャグ、決めフレーズの数々と、それを生み出したギャグマンたちについてつづる。
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「人生に、幕じゃあ~りませんか」、吉本新喜劇のチャーリー浜(78歳)が亡くなった。一発ギャグ、決めフレーズの使い手として少しだけ一世を風靡した。
1962年吉本に入り花紀京にきたえられた。1980年に“漫才ブーム”がきて、吉本は若き漫才師達の事で手いっぱい。花紀京、間寛平らの新喜劇が低迷した。1990年頃「吉本新喜劇やめよっカナ」キャンペーン。チャーリー浜「ごめんくさい」やら池乃めだか、“パチパチパンチ”島木譲二らのギャグだけを集めたビデオ『ギャグ100連発』が全国的に話題になった。
このキャンペーン、みうらじゅんが監修で大反響。私も初めて知った「じゃ、あ~りませんか」にビックリ。当時やたらマスコミで吹聴した。1991年には「新語・流行語大賞」の年間大賞にも選ばれた。ギャグ界のレジェンド。結婚だって4回もしている。その心は「君たちがいて、僕がいる」なのだろう。
訃報が出たのは4月21日、期せずして19日から私のラジオ番組は「ギャグ芸人」シリーズを組んでいて、毎日スタジオにギャグゲストを招いていた。春に出版した私の『ギャグ語辞典』を盛りあげようというミニ魂胆も見え隠れ。初日は“チャラリ~、鼻から牛乳~ッ”の嘉門タツオ。「どうしてあんな突拍子もないフレーズが浮かんだのか」ときけば、実は“鼻から牛乳”という言い回しは山口県の方では昔からあったんだと言う。
「どんな状況の時使えば?」「ホンマの話なんですが、昔、友人の桂雀々が女の子と電話してる時、奥さんが部屋をガラリ。あんた女に電話してたやろ。してへん。電話の履歴見せてみ」この時ひらめいた。 チャラリ~、鼻から牛乳~ッ。誕生秘話である。
ビビる大木は昼なのに「こんばんみ」を連発して帰っていった。