テレビやラジオでかけられない曲、「放送禁止歌」というものがある。1959(昭和34)年に、日本民間放送連盟(民放連)が「要注意歌謡曲指定制度」を発足させ、「要注意歌謡曲一覧表」という内部通達の文書作成したのだ。
ランクは3つあり、「A」は放送しない、「B」は歌詞はダメだがメロディーは放送しても大丈夫、「C」は不適切な個所を変えればOKというもの。拘束力はなく、自主規制の基準である。
1960年代後半から1970年代前半のフォークソング全盛期は、政治的あるいは反社会的なメッセージが問題視され、放送禁止となった曲も多かった。また、差別用語を使用しているということで、放送禁止となった例もある。
1965年に丸山(現・美輪)明宏が発表した『ヨイトマケの唄』は、いわゆる「日雇い労働者」について歌っていたために、大ヒットしているにもかかわらず、いつのまにか放送の表舞台から姿を消した。
こういった放送禁止歌にスポットが当たるようになったきっかけの一つが、映画監督で作家の森達也さんが1999年に制作し、フジテレビで放送された『「放送禁止歌」~唄っているのは誰? 規制するのは誰?~』というドキュメンタリー番組だ。そして、2000年には桑田佳祐が『桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~』(フジテレビ系)で『ヨイトマケの唄』を歌った。
このとき、桑田が歌唱する前に《この唄は、俗に放送禁止用語と呼称される実体のない呪縛により長い間、封印されてきた。今回のチョイスは桑田佳祐自身によるものであり、このテイクはテレビ業界初の試みである》というテロップが表示された。サウンド・パフォーマンスを行うアーティストで“放送禁止歌”に詳しい、とうじ魔とうじさんはこう話す。
「桑田さんは『禁止じゃないから、歌っていい』と考え、名曲を埋もれさせてはいけないと動いた結果、番組で歌えることになったのでしょう。
要注意歌謡曲指定制度は1983年に廃止されて効力は失っていますが、番組制作の現場では“要注意”でも“自粛”でもなく、“禁止”という強い言葉で、上から下へ伝え続けられたのでしょう。放送しても罰則はないのに、放送できないと思い込んでいたのは間違いだったと、ようやく気づいたんだと思います」
その後、2012年のNHK紅白歌合戦で、美輪明宏が『ヨイトマケの唄』の歌詞を一切変えることなく、フルコーラスで歌い切り、その世界観と圧倒的な歌唱力が絶賛された。
「いい歌は流れるべきだと思っていますから、本当によかったと思います。ただ、個人的には『何をいまさら、もっと昔から流すべきだった』とも思いますが」と、とうじ魔さんは振り返る。