神奈川県横浜市郊外にある広大な公園墓地。園内でも見晴らしがよく、ひときわ大きな墓所が集まる一角に、隅々まで手入れが行き届いた墓塔がある。その側面には《昭和六十三年 吉月吉祥日建立 田村正和》という文字が刻まれている。俳優・田村正和さんの「生前墓」である。
「親しくされているかたが自分のお墓を建てた縁もあり、田村さんは1988年に生前墓を建てられました。中国では『寿陵』といって縁起のよいこととされています。生前に建てた自分のお墓を守ることで、自身の長寿を願い、健やかに生き、人生の使命をまっとうするという意味があります」(霊園関係者)
最近、その墓に変化が生じた。朱色に塗られていた「正和」の文字が、黒く塗りつぶされていたのだ。これは、その墓の建立者がすでにこの世を去ったことを示す──田村家と親しい関係者が声をひそめて打ち明ける。
「実は田村さんの葬儀は今年4月上旬に、ごく近しい親族のみで済ませたと聞いています。77才ですから、まだ若いですよね……」
あれだけのスターの訃報であれば、通常は死後間もなくしてテレビが速報を打ち、新聞も大きく報じる。多くの関係者が哀悼の意を表し、故人を送るのが慣例だ。だが、訃報が報じられたのは、亡くなって1か月以上も経った5月18日だった。実は、その日の午前中、『女性セブン』記者は田村さんの親族に話を聞きに行った。
田村さんの個人事務所を兼ねる東京・世田谷の自宅はひっそりと静まり返っていた。事務所の取締役でもある妻の和枝さん(80才)を訪ねたが、インターホンを鳴らしても反応はない。自宅から出てきた事務所関係者と思しき男性に声をかけるも、こちらを見向きもせずに立ち去った。
「田村さんは、2018年2月に放送されたドラマ『眠狂四郎The Final』(フジテレビ系)を最後に、事実上の隠居生活に入っています。現在、個人事務所に電話をかけても誰も出ません」(テレビ局関係者)
田村さんは4人兄弟の三男で、4人とも俳優として活動していた時期がある。長男の高廣さんはすでに他界。次兄の田村登司麿さん(82才)を訪ねた。田村さんの逝去について聞くと、顔を伏せ「私は違います。人違いです。兄ではありません」と言い、自宅に駆け込んだ。四男の田村亮(74才)にも聞いたが、「田村正和」という名前を出した途端、「自分は田村亮とは違う」と、インターホンは切られた。
もちろん、人違いではなく本人に聞いているのだが、親族は一様の対応だった。人知れずひっそりとその日を迎え、その後も静かに過ごしたい──この対応こそが、昭和、平成を駆け抜けた日本を代表する俳優の最後の願いでもあった。
※女性セブン2021年6月3日号