毒親(toxic parents)──暴言や暴力、過干渉などで子供を傷つけたり思い通りに支配したりして、「毒」となる親をこう呼ぶ。近年は毒親という言葉や概念が普及したこともあり、「私は毒親に育てられた」という子世代の告白とともに、「私は毒親だったのかも」という親世代の気づきが目立つようになった。
その毒親に育てられたのが、半自伝的マンガ『汚部屋そだちの東大生』(ぶんか社刊)の著者であるハミ山クリニカ氏だ。
「母は他の毒親マンガに出てくるように子供を殴ったりすることはあまりなく、見た目はキレイな人で、私は小さい頃は“自分も大きくなったらお母さんみたいになれるかな”と思っていました。でも一方で彼女は私のあらゆる行動に干渉して、私の人生の方向をすべて決めていたんです」(ハミ山氏・以下同)
小学校の頃、ハミ山氏の学校の課題や自由研究などは母親が手直しすることがあった。その“作品”で賞をもらうと、母親はいつもお祝いとしてホールのチョコレートケーキを買ってきた。だがハミ山氏はチョコレートケーキが苦手だった。
「食べるのを嫌がると母親は、『あなたのせいでゴミになっちゃった』とケーキを丸ごとゴミ箱に捨てました。当時の母親は文化的な素養はあるけど趣味がなく、日常生活で会話する相手は私だけで、喜怒哀楽の感情は全部私にかかわることでした。
私は怒られたり小言を言われたりするたびに早く終わってほしいから、とりあえず『ごめんなさい』と言うようになった。そうするうちに物事を考えることが面倒になり、母の言いなりになって何も考えない子供になっていきました」
ハミ山氏が中学生になった頃から母親は、母娘がふたりで暮らす自宅を掃除しなくなった。見かねたハミ山さんが「ゴミを片付けないとどんどん散らかるよ」と言っても、母は「やっといて」と答えるのみで、自宅はどんどんゴミ屋敷と化していった。
床に大量のモノが山積みになり、トイレが壊れて水が流れず、無数のゴキブリがキッチンをはい回るなど、強烈な暮らしぶりは『汚部屋そだちの東大生』で細かく再現されている。
「母は思考を放棄している感じがありました。よく物語で花柄のひらひらの洋服を着たおばあちゃんが出てくるけど、ああいう感じで母の周囲だけ時間が止まっているんです。彼女の中では私は15歳になっても20歳になってもずっと3歳くらいのままだったのでしょう。
私も母と同じように思考を放棄していたので、ゴミ屋敷で自我のないふたりが暮らしている状態でした。この先も何も変わることなく、母とずっと一緒に過ごすのだろうという諦めに似た気持ちがあり、何度新年を迎えても新しいことにチャレンジする気にならなかった。だから私は、お正月がおめでたいと思ったことはありませんでした」