1981年5月16日、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、~1989年)の第1回が放送された。あれから40年、時代を築いた番組に出演した、かつて若手だった西川のりお、片岡鶴太郎、島崎俊郎が集結。番組開始当初、『8時だョ!全員集合』(TBS、1969~1985年)と差別化をはかるため、彼らは何を要求されたのか? 3人が、彼らに期待され、課されていたことを振り返った。【全3回・1本目】
島崎俊郎:今回、3人で集まるのは十何年ぶりになるんじゃないですか?
片岡鶴太郎:俊ちゃんとは2008年の27時間テレビで中継に一緒に出て以来だもんね!
西川のりお:僕、この2人に会えるならって、大阪から出てきたんですよ! 毎週水曜日に集まって楽屋とスタジオでワイワイやった戦友ですから。芸人という枠を超えた間柄でね。
片岡:あの頃は深夜3時までずーっと河田町にあったフジテレビで撮影して、それから六本木に遊びに行ってたんだから(笑い)。
島崎:収録の終わり頃は変なテンションになってて、スタジオで大笑いしてね。
西川:冷静に見たら、そんな面白いことないんやけどね(笑い)。ただ、毎週の収録は最後まで戦いやった。
島崎:1981年からの8年間、一度もラクな撮影なんてなかったですよ。
片岡:僕は番組初回からじゃなく、7回から出させていただいたんですけど、お2人は第1回から?
島崎:そうです。のりおさんは『THE MANZAI』(フジテレビ系)からの漫才ブームで声がかかってきたんだと思うけど。
西川:ブーム言うても、一過性じゃないですか。僕は1ミリでも前に進みたいと無我夢中でやってたら番組にいたという感じ。
片岡:プロデューサーの横澤(彪)さんに誘われた記憶はないですか?
西川:その頃の横澤さんは『THE MANZAI』の打ち上げでね、僕の横でニコニコしながら「もっと考えないとダメですよ」とチクッと刺してきた記憶しかないなァ。それで気がついたらジュリーの恰好させられとったんです(笑い)。
片岡:俊ちゃんのトリオ・ヒップアップはお洒落な感じだったよね。