『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、1981~1989年)では、出演者たちの個性あふれるキャラクターやモノマネが人気となった。あれから40年、西川のりお、片岡鶴太郎、島崎俊郎も3人が、オバQ、マッチ、アダモちゃんなどの、名物キャラやモノマネが生まれた背景を振り返った。【全3回・2本目】
島崎俊郎:番組ではいろんなキャラクターが登場したけど、「ひょうきんベストテン」の鶴ちゃん、近藤真彦にはビックリしましたよ。
片岡鶴太郎:マッチはモノマネのレパートリーになかったんですよ。(ディレクターの)荻野繁さんから急に呼び出されて「1回だけ、マッチやってよ!」って。僕はマッチと10歳離れてるし、どこもルックスで被らないのに3日で『ギンギラギンにさりげなく』を覚えてスタジオへ行ったんですね。渡された台本には「マッチ、山小屋に入って死ぬ」って書いてあった。
西川のりお・島崎:(笑い)
片岡:リハーサルではスタッフが僕に「死んじゃうだけだから」って、山小屋に入れてくれないんですよ。それで本番、歌いながら小屋に入ると、何羽もニワトリがいて爆竹も鳴り出した。僕も驚いたニワトリに襲いかかられてパニックですよ。とにかく必死で最後にセットの大木の下敷きになって倒れたわけ。1回こっきりの約束だったのに荻野さんは「ウケてるし、もっとやろうよ」(笑い)。
西川:僕も荻野さんに沢田研二をやれって言われた時は困ったもの。ワイヤーで吊るされたまま『背中まで45分』を歌ってる時も悩んでたんですよ。(プロデューサーの)横澤(彪)さんが僕に「黙ってやってればいいのよ」なんて言うし。
片岡:のりおさんは繊細ですからね。こう見えても。
西川:こう見えては余計じゃい(笑い)。鶴ちゃんは1回目の「ひょうきん歌謡大賞」も獲ったでしょ。ジュリーの格好してプレゼンターで出てた僕はホンマに悔しうなって、あなたの首絞めた。そうしたら親御さんが「うちの子に何をするんですか!」って。
片岡:はっはっは(笑い)。
島崎:のりおさんは自分を追い込んで爆発する。それが可笑しいんですよ。オバQやフラワーダンシングチームもドッカーンとくる。
西川:オバQはウガンダ・トラさんと俊ちゃんたち、ヒップアップでマイケル・ジャクソンの『スリラー』をやるって時に全身白塗りにされてね。棺桶に出番まで入っとれ言われて、ずーっと閉じ込められてたんですよ(笑い)。曲の最後でやっと蓋が開いたんで、カメラに「バカぁ」言うたのが始まりです。オバQの漫画もアニメも知らんし、意味分かってないまま。ツッタカ坊やも一緒。(島田)紳助が悪魔の笑顔で「兄さん、まだあるやろ」って煽ってきよるんです。こっちはやけくそでやっただけ。
島崎:練られたギャグより破壊力ありましたよ(笑い)。