開催か、再延期か、はたまた中止か──。東京五輪2020に対する世論が大いに揺れている。今回の東京五輪は、誰もが手放しで歓迎できる大会とは言い難いのは事実だ。一方で、1964年に行われた前回の東京五輪は、日本にとって重要なターニングポイントとなった。1964年の日本はどんな様子だったのか、当時を知る人々に話を聞いた。
1964(昭和39)年10月10日午後2時過ぎ──築地(東京・中央区)の自宅で、「空に浮かんだ五つの輪を見たのをいまでも覚えている」と、テリー伊藤さん(71才・当時14才)は、懐かしそうに語る。
「うちから国立競技場は遠すぎて見えなかったけど、五輪の雲にはうっすら色もついていたような気がします」(テリーさん)
《世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます》という、NHK・北出清五郎アナの名実況で始まった東京オリンピック開会式。国立競技場の上空には、航空自衛隊のブルーインパルスが描いた“五輪”があった。
同日同時刻、新宿区落合の自宅近くで、当時8才の泉麻人さん(65才)もこの五輪の雲を見ていた。
「自宅でテレビ中継を見ていて、“これは生で見られるのでは”と、思わず外に飛び出しました。ぼくが通っていた新宿区の小学校では、黒板の脇にテレビが設置され、掃除時間に女子体操のベラ・チャスラフスカ選手の演技を見ていたことも覚えています」(泉さん)
国立競技場の前身は、戦時中に学徒出陣の壮行会が行われた明治神宮外苑競技場。いわば、戦争と平和の象徴の場で東京五輪は開幕したのだ。
開催は1940年に決まっていたが、日中戦争で五輪開催を断念した経緯もある。それだけに“焼け野原となった敗戦国からの復興”という願いを込めた国民待望の大会だった。
「東京五輪の2~3年前から道路を舗装したり、高速道路を作ったりで、なにしろトラックやダンプカーが行き交い、東京は街じゅう埃っぽかった。それに、開会日の直前まで工事していて、“こんなんでちゃんとできるか”と、心配だったね」(テリーさん)
実際、柔道会場の日本武道館は9月に完成。10月3日に開館し、なんとか間に合った。