当時のお笑い番組の“王様”だった『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、1981~1989年)。出演者のアドリブが多かったことも、番組の大きな特徴であった。即興性を重視する姿勢は、番組全体にどんな効果を及ぼしていたのか。番組放送開始から40年の節目に、西川のりお、片岡鶴太郎、島崎俊郎が、スタッフや出演者たちを笑わせる厳しさを振り返った。【全3回・3本目】
西川のりお:(プロデューサーの)横澤(彪)さんは容易に笑わんし、(島田)紳助もまともな笑いじゃ納得せえへん。こっちは媚びも売らんと身を切って笑わそうとしてた。
片岡鶴太郎:プライベートもネタにして笑いに変える。
西川:「ここに駐車場で女を口説いてた男がいる」って、(ビート)たけしさんに本番でバラされたな(笑い)。
島崎俊郎:僕もひょうきん懺悔室で似たような目に。紳助さんも、(明石家)さんまさんを追いかけ回してた女性をキャラにしてましたね。
西川:あの「さんちゃん、寒い」ってやつ(笑い)。だけど楽屋落ちでも何でも、笑わせればいいというのは視聴者に媚びなかったということですよ。
島崎:たけしさんがタケちゃんマンを休んじゃうハプニングもね。普通、収録に来ないというのは業界的に完全アウトなんですよ。
片岡:しかも御本人が言う休んだ理由が「お化けが出たから」(笑い)。あと番組の新しさで言えば、ディレクターやアナウンサーが笑いに参加した最初の番組ですよね。
西川:僕はベストテンに出てた女子アナ、山村美智に寺田理恵子、長野智子の全員に襲いかかってたもんね。彼女たちを泣かせたら、紳助がはやしたてるし。今なら大炎上必至よ(笑い)。
島崎:番組はまだ続きそうだったのに8年で終わった。その理由をディレクターだった山縣(慎司)さんに訊いたんです。要因の一つとして制作陣がドリフを抜いて視聴率29%を取った時、15%切ったら終わろうと約束してたそうなんです。