映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・村上弘明が、ほとんど演技経験がないまま『仮面ライダー』に抜擢された当時について語った言葉を紹介する。
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村上弘明は大学在学時の一九七九年に映画『もう頬づえはつかない』(東陽一監督)のオーディションを受けたところから、俳優としての人生を始めた。
「大学の友人がオーディションに僕の写真を送ったんです。書類審査に通ったというので、友人に誘われて遊び半分でオーディション会場に行きました。こっちはさらさら受かる気はない。それが受かってしまった。その友人がクラスの連中に合格を吹聴したんです。
ところが、何週間か後に友人が持ってきたスポーツ紙を開いたら『主演は桃井かおり、奥田瑛二』と出ている。次の日、映画のプロデューサーの方に呼び出され、お会いすると『本当に申し訳なかった』と。当初は主演の同級生の男女二人は新人でいくつもりだったが、女優が桃井かおりさんになり、それでは年齢もキャリアもバランスが悪いということで奥田さんにしたとのことでした。
その方に『この後、どうする?』と聞かれたので『特に決めてません。教職は取るつもりです』と答えたら『ちょっと俺に預けてみないか』と。そこで芸能事務所を紹介されました。契約したら、仕事が決まるまでひと月に六万六千六百六十六円払うというんです。大学にも行ってていい。何もしないで大学に行ってお金をもらえる。そんないい話はないとサインしたわけです」
『もう頬づえ~』の終盤での短い出演でデビューした後、『仮面ライダー』(スカイライダー版・TBS)の主役に抜擢される。
「僕がその頃に観ていたのは邦画では黒澤明監督や溝口健二監督の映画、あとはほとんど海外の作品でした。ですから『仮面ライダー』と言われてもピンとこない。それでもマネージャーに『自己表現の場と思いなさい』と言われて受けました。そうしたら選ばれたんです。
現場ではよく怒られました。素人ですから、創意工夫なんてできない。言われた通りにやるしかない。言われた通りすらできない。『俺は俳優に向いていないな』『仮面ライダーが終わったら辞めよう』と思っていました。
ただ1クールくらい経ってから、周りの反応も良かったりして、そこからはちょっと頑張ってみようかなって思ったんです。下手なものは下手なまま流れてしまう。恥ずかしい芝居をしても、そのまま流れる。それなら、自分で下手なりに作り上げていくしかない、と。